3D彼女、魔法少女サイト、学園ベビーシッターズ、ミイラの飼い方、クジラの子らは砂上に歌う、魔法少女俺、ラストピリオド、天体による永遠

 年を取って深夜アニメとの付き合い方に悩んでいます。近頃はdアニメストアアマゾンプライムで観れる範囲に視界を限るも、オンデマンド環境における再生ボタンの重さ以上に、自分のちんこの正当化に縮減された理性でしかアニメを見れない絶望で走れず、1話で大枠掴んだつもりの愚痴ばかりが多くなり、ゴミの山を産湯と浸かったジャンク嗜癖が変わる気配もありません。

 文化共同体のお約束とおためごかしに倦み、手汗と精液が相滲むビジュアルのモード的洗練に胃が爛れてなお、欲望の時空に時たまひらめく不確かな美の伝達と、コンテンツの恣意的な選択を個人の歴史として抱え込んだヒステリー的言説の無意味さを試すことには、未だ執着が残っています。

 幼児性と誘惑と眩暈、記述不可能な情報量と感覚質、不定形の身体イメージから奔出する生命感、生活に添い認識能力を蝕む時間性。アニメが人類に早過ぎた揺り戻しがVtuberのテレビ感なのか、単純な快楽効率では分が悪くなりゆくコンテンツ状況の現今に、わざわざ全話見てしまった最近の作品の、感じだけでもまとめておこうかと思います。

 

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 1話時点では勘違い脱オタ恋愛話(電車男)を10余年越しにくるりOPでやるかと戦慄し、君に届けアオハライドorangeほか堅固なリア充キラキラ仕立ての後塵も拝さぬさっぱりとしたデザインとセルで、謎メルヘン物質が浮遊するイメージバック+主線色トレスやタイポグラフィで一応盛るもノリは平熱、恋愛も葛藤もギャグもオフビートで芋く流す基調にかえって作劇のパンチが際立ち、当初はゾクゾクきてました。

 その古拙さが徐々にオタの弱さにもギャルの切実にもモードの賢しさにも偏らない、不思議に突き放した繊細さの表現に感じられ、一笑に付しがちな質朴が危うい均衡で転じて、こだわりを脱臼させられる快楽に至ったのは儲け物でした。

 登場人物の和やかさと映像の柔らかさが合致した、心地良く笑いを誘う温度感も肌に合い、「作画の崩れ」という価値判断をもたらすような絵面をそのまま表現として受け取る態度の、健全な有効性を証してくれる作品の一つとも思います。

  こちらは完全にジャンクなやさぐれポルノとして、久々にアルコール抜きで一気見に能い、こういう作品を切実に欲する自分に凹んだり元気が出たりしました。

 トータルの絵面は『WIXOSS』のアップデートを期待させて、暗い画面でひたすら宮野真守が困っていた『魔法戦争』か『王様ゲーム』並のアナーキズムに急ハンドル。ダーク魔法少女文脈への丹念な拘りに渋面した『魔法少女育成計画』の憂さを晴らしてくれるが如き、ベタなメンヘラ終末論サバイバルを当今風のアンモラルで押し切る力強さを頼もしく思いました。

 主人公の朝霧さんはクマ深いガン開き瞳孔(裂傷ハート目は天才)と頭部のでかい瘦せぎすが全カット不安定で疱瘡のようにブニャブニャしている存在感がかわいすぎ、能力を使うたびに頭部から出血する男の娘もいちいち面白く、芹澤優氏の死に様は馬鹿と悲しさが相混じって呆然としました。低めの茜屋日海夏氏もハマった荒み感で、全体にジャンル的桎梏をねっとりとズラしかつ暴発させる謎構築の快感でいえば、長崎市民が主人公たちの屋敷を焼き討ちにする『幻影ヲ駆ケル太陽』ばりかと思いました。

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 桜井弘明監督作品の魅力を急に言えば、完璧に統御された緩急と徹底した登場人物への暖かな眼差しがアニメ世界のエロス化にまで到達した何かだと思っており、その最たる『会長はメイド様!』以来の多幸感になぜか包まれてしまった少女漫画原作アニメが本作でした。本作は桜井監督ではないです。森下柊聖監督は何者でしょうか。

 ばらスィー的な小慣れたスタイルの電撃系ロリ『三ツ星カラーズ』を同時期の隠れ蓑に、かぼちゃパンツのふたつくくりで舌足らずなきりんちゃんという極めてプリミティブかつ純観念的な童女を無言で凝視できて幸せでした。というか原作ちらっと読んだらアニメ以上に性的な優しさで満ちておりヤバく、自分は少女漫画の沼に沈んだら確実に気が狂うから美少女アニメで我慢しているのかなと思いました。

 巨乳の片想い女子ももっちりした無口弟も健気な育児男子も腕白な三瓶由布子氏も笑む齋藤彩夏氏も泣く種崎敦美氏も刺々しい明坂聡美氏も全部エロく、結局近代とは家族の問題なのでしょうか。おれのセックスはフロイトだけで片が付くなと絶望し、「これが母性のディストピアか」とうっかり買ったクソ本をゴミ誤用したくなりました。

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 大槻敦史氏、藤原佳幸氏、かおり氏あたりのハイエンド系美少女アニメ演出家への向き合い方は非常に難しく、ものすごく上手い方にギラつくオタ絵を統制されると糖衣で生肉を嚥下するように胃もたれが激しいので、comico原作の素朴なデザインへの回帰や小動物の所作にその技量が注がれる本作は流動食として高価値でした。

 Webコミック原作・中国資本・海外展開などで作品の多様化する傾向は有り難くも、ただでさえ難しい主体側の文脈付けがいよいよ大変になり、数年ぶりに趣味でアニメ感想を書こうにもどういう書き方をすれば誰に届くのかがさっぱり分からず、結局は個人の現場主義をいかに研ぎ澄ませられるかに関心が落ち着きます。

 小さなものの触れがたき可傷性と凝縮された存在感には無条件で鼻血が出、もう一度『武装神姫』のような名作が観たいのですが、『フレームアームズガール』はとても川口敬一郎氏でしたし、1期の花江夏樹氏が宗教的だった『リルリルフェアリル』の新シリーズはネットで配信されると嬉しいです。

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 ざくっとした描線処理と色彩淡めな飯塚晴子キャラがサトジュン演出の軛を離れた解放感、というと『たまゆら』のつらみを吐露しているだけですが、J.C.STAFFの堅実な手付きがネトフリ独占で海外意識のファンタジーに適用されると、大作志向も嫌味にならず馴染み良い感触でした。

 金元寿子氏が序盤で死ぬのは早見沙織氏を早々に殺したSAO同様に憮然とし、愁嘆場はクドいながらもバランスの良すぎる絵作りで、大畑清隆コンテ回のすっとぼけ方や褐色ピンク髪の山下大輝氏も非常にキュートでした。キャラを声優名で代替し続けるのは下品ですが、せめての文字数の削減ゆえご寛恕ください。

 イシグロキョウヘイ監督は『オカルティック・ナイン』が素で面白かったり、『ランス・アンド・マスクス』があまりにもすごすぎるので『庶民サンプル』と一緒に褒めたらやらおんに晒されて人類遅れてるなあと思ったりしたので好きです。

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 マッチョネタの政治的な是非やギャグとしての寒さ面白さはどうでもよく、大橋彩香氏の真っ直ぐなアップチューンにステロヤクザやオタ芸をベタッと同期させる脂っこさもむしろアリで、『犬とハサミは使いよう』が脳裏によぎるも比べれば全然淡白、というかウメケンマンボもふわっふわのまほうも桜trickOPもサクラハッピーイノベーションもWUGの健康ランド水着踊りも、アニメのダンスは全て最高の快楽なのでどんどん過剰になってほしいです。

 原作の方はBL出身の美麗タッチとうすた京介調ギャグの落差が特徴的で、大地丙太郎監督とかが理想かとも思いましたが、監督構成脚本絵コンテアフレコ演出全部やってる川崎逸朗監督のバイタリティが超怖くて文句を言えません。

 それでも第4話のアニメ制作ネタ回は、「アニメ業界は一度滅んだほうがいい」という迂闊に表明できない本音や葛藤を孕んだような、じっとりした手付きのパロディの繋ぎ方が不穏に感じられ、最終回でエヴァになった『レディジュエルペット』の衝撃の後だと、そんな電波を頼りに監督のアニメを観続けてしまいます。願望の投影なのは分かっています。

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  私の立場を簡潔に述べれば「『フタコイオルタナティブ*1』よりも『双恋*2』」で、オタのドグマが自家中毒を起こして発狂したアニメを観てともに発狂する体験に生の実感を求めています。レビュー欄の言説に使われている実況向けとかクソアニメとかの用法が10余年前から一切変わっていない絶望は今更どうでもよく、タダ飯を食う茶飯事に主体を問い直す「鑑賞」態度こそが必然倒錯に陥るわけです。たぶん実況では「そのうーうー言うのをやめなさい!!」ってコメントがたくさん付いていると思うので楽しそうです。

 ソシャゲネタのフォーマット、田村ゆかりの超越性、オタのモードの確固たる追認と自己言及。とりわけけもフレ回は嫌がらせレベルの執拗な丁寧さで、なまじ映像も勘所を押さえまくっているだけに、ハードコアな保守の凄みが炸裂している岩崎良明監督作品です。

 男女声優デュエット楽曲が『あっちこっち』並にゆるふわドープなOPは、大畑清隆コンテのシンプルな反復のリズムで静謐なトリップにオタを導きますが、ところで反復の反-快楽といえば皆さんご存じの通りエンドレスエイトではなく『もえがく★5』です。鬱の反芻思考が欲望の螺旋よりも退屈なのは分かっています。

 デザインゴテゴテの大量の美少女がゲスト出演で入れ替わり立ち替わる個体識別できない眩暈は『ファンタジスタドール』ですが、異様に乳ばかり強調した水着回まじぽか金子ひらく回をも想起させ、最高のアニメの記憶を一挙に引き受けた本作の水着回は発狂しています。

 美少女アニメ保守本流、クオリティコントロールが肝の現場派かと思わせる岩崎良明氏ですが、この「作家性なき作家性」みたいな無思想の軽やかな屈託のない優美が更に極まると八谷賢一氏で、ボンヤリした萌えアニメに青春を賭けた人間にとっては特別な名前、だのにかけるべき特別な言葉は今でも見つかりません。まじぽかネタすら陳腐化した昨今ですが、思想も倫理も拒絶するオタアニメの「単純ゆえに精妙な反復的快楽」を洗練させ続ける作家として、今後も付いていきたいと思います。

 こんな死ぬほど下らない路傍の嘔吐を煮込むにも丸3日かかるので、個人の有限性を元手にアニメを語る人間が激減するのは当然でした。いい年なので言説に方法論を身に着けたいのですが、脳が腐って戻りません。

 

 何がラストでどうピリオドなのか分からず、本当に終わりなき螺旋の中をここ数年ぐるぐるし続けている気がします。最近、近代という反復の地獄に倦んだ19世紀の革命家が、ニーチェに先んじて永劫回帰の観念に到達し、「全時間軸の各瞬間ごとの無限の地球と人類」というエロゲそこのけのやばい宇宙論を獄中で綴った本を読みました。

天体による永遠 (岩波文庫)

天体による永遠 (岩波文庫)

 

 瓜二つの人間、何十億という瓜二つの人間の形を借りて、我々がその幸福を永遠に味わってきたし、味わい続けるだろうと想像することもまた、別の楽しみではないだろうか? 彼らもまた明らかに我々自身なのだから。けれども、多くの狭量な人々にとっては、代理によるこうした喜びは、余り気乗りのしないことである。彼らには、無限な存在のすべての複本よりも、現行版の三、四年の増補の方がよいのである。幻滅と懐疑主義の我々の世紀にもかかわらず、みんなガツガツとこの世にしがみついているのである。

P.135 

 

 「ポップカルチャーからの卒業」概念は欺瞞 、と嘯いていた人々はよほど純真だったのか、既に自分を対象とはしていない若者文化とどこまで向き合い続けるべきか、さよならを困難にする時代の諸条件とどう距離を置くのか、コンテンツの絶対量を前に否応絡む個人の限界をいかに引き受けるのか、引き算と引き際こそが愛の問題だと今は考えています。

*1:主人公とお別れセックスがしたくてたまらない双子が夜の街を彷徨する謎叙情と共に巨大イカが商店街を焼き払うufotableのインディペンデント性が後のらっきょやフェイトゼロにまで繋がった、金月龍之介氏の燃やした煌めき

*2:自分がなぜ大量の双子に好かれるのか苦悩し始めた主人公が作劇に置き去りにされ、画面の隅っこでジャンプして終わったアニメ