最近読んだ本(荻原規子、倉橋由美子、笙野頼子)

  ぼんやりアニメ版だけ見てると「ラスボス風だった高柳君が犬になっちゃった!(なんで?)」みたいな感想で終わりがちなRDGですが、自分は三つ編み眼鏡内気巫女さんCV早見沙織氏のヒロインにドンピシャ悶え狂い、同時期の『絶対防衛レヴィアタン』と並走して涎垂らしまくっていたクチで、続けて原作読んだら荻原氏の文章に惚れて『西の善き魔女』や勾玉三部作まで遡った流れでした。

 久々の新作はおまけ短編とスピンオフ中編で、懐かしさが沁みるのと、あと脳内再生しながら『桃華月憚』以来早見沙織氏がものすごく真剣に好きだった頃のことを思い出しました。

 上橋菜穂子氏が有無を言わせぬ文化人類学パワーで殴ってくるのに対し、神道、山伏など日本土着の霊性や歴史要素と学園物のリアリティを、抑制された筆致で危うい綱渡りのように併存させるバランス感覚が不思議な読み味で、ラノベ風のガワから踏み込んでファンタジーの微細な快楽を教えてもらえた本作だったかなと振り返って思います。

 ラノベ読者としては、幼年期にガンダムノベライズやハルヒやシャナやドクロちゃんから普通に入ったあと、いかにもなオタエンタメでは『緋弾のアリア』が吹っ切れすぎた馬鹿なので唯一追い、作家単位では田中哲弥氏、中村九郎氏、清水マリコ氏あたりに趣味が落ち着き、石川博品氏は巧すぎてあまり馴染めず、江波光則氏ぐらい情念が赤剥けているほうが好きかな、とかのろのろ読んでるうちに時代が発狂して拘りが失われ、物語より文体を小説に求めるタイプと自覚された結果、他のジャンルの勉強にシフトした近年です。 

 それこそ「精神の生理から来る文体に対する好悪には理屈を超えたものがあり、人が他人の思想に共感を抱いたり反撥したりすることとこの好悪とはひとつのこと」(「反埴谷雄高」論)という感覚が根強く、なろう小説を掘れる人を尊敬するしかないのですが、ともあれ『聖少女』で衝撃を受けて以来、『反悲劇』までの前期倉橋氏の文章にたまに立ち返ると元気が出ます。

 「生きた、軟かいことばをもって現実のほうへとはいよっていく種類の小説ではなくて、死んだ、超越的なものだけを指向することばによって構成された小説」(P.243)と媾合する快楽で生きていますが、どこまで密室の観念論者として生きていけるかは分からず、マルクスよりフォイエルバッハのが切実に感じます。

……要するにQが自室でひとりになるやいなや行ったこの自慰行為は、考えれば考えるほどふしぎな行為であって、世界のあらゆる現象を一元的に説明できるとみずから称し、その理由でQが信奉しているあのスミヤキズムによっても説明することができないのである。……ひとは想像力の密室で遂行する愛撫と性交が終わったその瞬間に、自分のまわりの現実の壁をみるのである。その壁は以前よりも自分に近づき、厚みもましているようにみえる。想像力を駆動して他人を密室外に排除したぶんだけ、自分の密室は狭くなり、壁が迫ってくる……(P.100)

アマノン国往還記 (新潮文庫)

アマノン国往還記 (新潮文庫)

 

 言語の根腐れた女人国にやってきた宣教師がセックス番組でテレビ宣教、という男根と一神教を重ね合わせた馬鹿ユートピアジョン・ハンフリー・ノイズっぽい滑稽味ですが、前期の反小説と比べた冗長さと毒の抜け方が食い足りず、女人国物でいえば『家畜人ヤプー』のマゾヒズムすら冗談と感じない昨今なので、続けて文藝に一挙掲載された笙野頼子氏の『ウラミズモ奴隷選挙』を読みました。

文芸 2018年 08 月号 [雑誌]

文芸 2018年 08 月号 [雑誌]

 

 同根と思しい憂鬱を抱えながらも「ゼロ年代」的な狂騒には乗り遅れ、「セカイ系」という言葉の軽薄さにも耐えきれず、消え去っていくエロゲ論壇的なものへの妙な憧れも引きずっていましたが、オタ文化の言説だけでは捉えきれない感情が多すぎ、自分の問題を「ネオリベ環境下における自己内他者への極私的信仰」という文脈に置き換えれば、同族/男性/自己嫌悪を慰める意味も込みで、『硝子生命論』や『萌神分魂譜』あたりを筆頭に、笙野氏は熱心に読んでいました。

 とはいえ、脱政治的な読み方でオタとしての自分を無害化しきることもできず、すでにして「中韓にできないポルノやロリ表現にしか日本オタ文化のウリやら核やら誇りやら特異性やらが見出せず、表現の自由/反表現規制問題が性に出発してナショナリズムにも繋がりうる社会運動と化している」*1という悲惨があり、そうした更科修一郎風の指摘を黙殺し続けたオタ文化が、遂に行き着くところまで行ってしまった現実をせめて意識するために、笙野氏の近作も追い続けるしかないと思っています。

 ただ正直、女性国家ウラミズモの男性保護牧場にフォーカスしたこの新作は重すぎ、半日寝込みました。

 ……この翌月、語り手は旧住所旧男性保護牧場で第二代浦知良氏臨場の最終審査を通過し(応募者は本人一名のみ)、男性保護牧場、「表現と射精」部生体研究所の、第二代総括部長として、いわゆる射精部に赴任した。 そして施設が移転した現在でもそこでにっほんから預かったひょうすべの息子たちの「表現の自由」擁護と、「射精という人間本来のもっとも大切な本能」に関し「理解と支援」を与えて国家貢献している(つまり移民の中の出世頭である)。(P.192)

 加えて書類に書く、破損理由、これを見せる。「相手が妊娠しないので腹を殴れず、退屈して首をしめた頭部損傷」、「やりたかったから脚切断」、「頭突き二百回、口応えの罰だぞ、きぬ、枕全体破壊」、「さあ姉妹でエスエムしてみろ、銀鈴、しなければ梅毒の刑だ」、「小学生なんだろ、市川うんこかけさせろ」「おおおお、お母ちゃん死んだねえ、ねえ今どんな気分、一晩殴ってあげる」

 「枕」とは呼ぶものの彩色はしていないが、それは確かに爪の凹凸までリアルな型のある少女の人形である。「これは二代目の浦さんの子ども時代、原寸大です御本人が政権についてから自分で、……」(P.220)

 おんたこ三部作は「生きながらロリコンに葬られ、それでもなおどういうわけか地上を彷徨っている」(中里十氏)人間のためにあると信じますが、オタの快楽主義を保ったまま笙野氏を語るには踏ん切りが付かず、工学的快楽に呑まれた自分を人間と信じられない今に至っては、せめて葛藤してる素振りぐらいは見せたほうが、という程度に何か書いておきたく思いますが。