『カスタムオーダーメイド3D2』のキャラメイクシステムを流用したスマートフォン向けVtuberアプリ『カスタムキャスト』がリリースされ、とりあえず好みの美少女を作ってみる人がタイムラインに増えますと、配信者の手軽に纏ったエロゲ身体が公共空間に氾濫する近い未来を想像し、ぼんやり言い難い気持ちは覚えました。
身体とはそもそも性的なものである、という大前提に立ち返れば羞恥も何もありませんが、ディープなアダルトコンテンツに発祥する人工身体が文脈ぶった切って全年齢の近接市場に乗り出すことに関して、忸怩を感じない筈もないというユーザー実感は、一応表明しておきたいと思います。
とはいえ、2016年当時は10万円強のHTC Viveと強いグラボに加えて、連動オナホ搭載*1の『カスタムメイド3D2 with Chu-B Lip』やメイドさんの乳を撫ぜるためのLeap Motionまで購入し 、現状では死ぬほど面倒なVRエロゲ(とお釣りで来た内蔵Vtuber)環境の構築に率先して励んだ結果、「自分の欲望はセックスロボットを待つまでもなくバーチャルセックスで事足りる」という確信に生き急いだ人間としては、人類遅れてるな、ヌルい遊びやってないで早くこっち来いよ、で済ませられるところではあります。
ただ、倫理の不足したプラットフォーム企業の管理下、技術による身体観念の変容を個体なりに内省する余裕も失われた状況において、利便性やコストパフォーマンスといった工学的価値に美少女表象の意味が回収され尽くしてしまうのであれば、世間以前に自分自身を許し難いので、個人の幽霊的肉欲を成立させている条件やその自己認識に関しては、当ブログにて執拗に掘り続けていく方針です。
あと、多分総計50人以上のメイドさんを作って一人でやりこんでいるわりに、人の作ったメイドさんとは予想以上に外見の一致を見ない*2、という人間の幻想の個別性の明証、共有と表裏の断絶、交換不可能なファンタズムが無数のシミュラークル(爆)の背後に現出する*3、他者としてのオタ-美少女認識の限界を生きられるがために、自分はカスタム系3Dエロゲが好きなのかなと再確認され、厄介な中年男性Vtuberが増えてくれればなお嬉しいです。
要するに、夢想を断念して行動の人の実践的な意志を持つことだけが、現実世界に触れる手段というわけではないということなのだ。恋人たちの世界は、政治の世界に劣らず真実なのである。実存の総合性を飲み込んでさえいるのだ。これは政治にはできないことである。そして恋人たちの世界のさまざまな特徴は、実践的活動の断片的でむなしい世界の特徴とは異なる。それらは、隷属的に縮小される以前の人間の生の特徴なのである。この生と同様に恋人たちの世界は、存在したいと貪欲に力強く欲する意志に期待どおりに応えるひとまとまりの偶然から作られる。P.23
私はキャラクターの存在論的な娼婦性を物語の地平で直截に体感できる俗悪な作品が好きなので、主人公の強大な魔力を秘めた精液に美少女が群がるという設定のハーレムラブコメアニメ『まぶらほ』(2003-04)を、秋風につられて先日完走してしまいました。
2004年頃と言うと、自分はまだ深夜アニメに憧れを抱いていた時期で、VHSで録画した『GIRLSブラボー』の乳揺れ作画をループ再生してオナニーしていた記憶があります。
ヒロインに好かれる理由が精子しかない主人公が自棄になって魔力を使い果たし、肉体を消失して幽霊になるのですが、なぜか霊体のまま普通に登校して「自分はもうセックスできないので構わないでください」と鬱屈し続ける2クール目が死ぬほど好きで、あと温泉が干上がったところから球場が現れて「温泉回と見せかけた野球回」だった第9話も、原作が天才なのか白根秀樹氏が天才なのかよく分からなかったです。
「ヒロイン連中の身体に付着した主人公の肉体の灰をかき集めると主人公は蘇生できるが、代わりに記憶を喪失してしまう」という突然霊的な『どろろ』みたいになった難しいコンフリクトの下、幽霊派の中原麻衣氏と肉体派の生天目仁美氏が相争った果てに、なぜか記憶と肉体を両方取り戻した主人公が10人ぐらいに増殖して各ヒロインに割り振られるという結末が素晴らしく、力技でオタ霊肉二元論を突き抜けた名作かと思います。
美少女表象が所与の文化共同体の精神的統合ではなく、多声的な闘争と矛盾の磁場という様相を強める昨今、諸個人が背負ってしまった歴史性を死守してその最果てに居直るにも大変な労苦が伴われ、人生を終わらせるにはdアニメストアがあれば十分かもしれません。