おしゃべり!おしゃべり!

映像文化を通じた「無目的な生」の証言。21世紀初頭における人間の変容を捉えなおす一助になれば。

最近のキャラクター蕩尽

ドリクラ

 発売当時は『ラブプラス』に操を立てて触れなかった『ドリームクラブ』シリーズを一昨年からちょくちょくとプレイしているのですが、飲酒画面で実際に安ウィスキーを舐め遅々と進まず*1、楽曲とモーションと肉感が良すぎてダンス動画ばかり何時間も凝視してしまい、アイリさんを完璧な生物と感じたので今年なぜか発売されたソロアルバムも購入しました。

 ボカロ感強めの寄せ方で、壊れた酔い歌唱をループした後では食い足りませんでしたが、ともかく細々とでも展開が続くと期待は増し、VR対応の新作でバーチャル泥酔するまでは死ねないなと思います。

 VRエロゲで「ご主人様」と呼ばれ過ぎて「お客様」の距離感がかえって心地良く、アイマスシリーズという楽園を相対化するためにも、ドリクラの言い繕いようのない政治的な正しくなさと洗練されたオジン臭い下品な快楽が切実に要求されてしまい、「歌舞と酩酊と娼婦に人生が尽きる」という確信に童貞のまま到達したことに難儀している近頃です。

「凍えた肉球に寄り添う微かなタマタマ」という歌詞がシュルレアリスティックです。(14:10)

 音楽と性的興奮のリズムを同期させるほど極めてはおらず、たまにエロMMD動画を観ても消音して運動イメージだけに集中するタイプなのですが、美月氏フラジャリティにはがっつり参ってダンスは当然、飲酒画面で見つめ合うだけでも射精してしまう自分にへこみ、『キラキラハッピー★ ひらけ!ここたま』が同じう高橋未奈美氏の主演なので、責任を取って観ようと思います。

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 こころさんのように心労で死ななければいいのですが

 アイマス

 最近デレステで喜多日菜子氏に声が付き、最初のSSRを14万円で引いて*2ファン数200万人超まで付き合い続けている身としては、何かオタ文章でも書くべきかなと思ったのですが、画面の中の女の子が可愛すぎることよりも画面の中に入れてしまったオタの生き方こそが大問題であり、あるキャラクター個体への愛着よりは、個体から個体への移行の仕方をこそ記述したいと考えています。

 デレステ初期はCVの付いていないキャラに拘り、「声が無いのに確固たる肉体はある」ことに新鮮なポリゴン美少女体験を求めた人形愛者だったのですが、質量共に狂った視覚像の氾濫するこの時代に、最後の欲望の対象、つまり情報やシステムに還元され尽くされない肉体の唯一性は声の領域に宿ると思われ、人工身体から声優に超越をずらすオタ回路も認識内に並走させています。

www.nicovideo.jp 喜多日菜子氏のような妄想キャラは観念奔逸たる自らの理想自我として全般好きで、『アイドルタイムプリパラ』の夢川ゆい氏*3はもちろん、『我が家のお稲荷さま。』アニメ版の佐倉美咲氏も忘れがたく、あと『緋弾のアリア』白雪さんのキャラソンを未だに聴いてしまいます。

 伊瀬茉莉也氏は『殺戮の天使』が異様に艶っぽくてすげえと思いましたが、高橋美佳子氏は最近飢餓感があります。

 ゆめかわなパジャマ姿の中谷育氏を17.3インチの縦画面で踊らせ見つめ合い続けていると、最悪の形でシリーズの上澄みをすくう罪悪感が著しいので、11年間無視し続けた初代アイマスニコマス文化を勉強すべく、初めてニコニコのプレミアム会員に入りましたが、アイマス楽曲が全部で何百曲あるのか数え切れず聴き切れず、心が折れています。

プリコネ

 対応機種の少ないデレステARをやりたいがためGalaxy S7のジャンク品を買ってしまい、自然ソシャゲを漁った中では『プリンセスコネクト!Re:Dive』が声優ゲーとして継続可能で、『ろこどる』以来ボンクラ魂をそそり続ける伊藤美来氏演じる銀髪キャラ・コッコロちゃんは、舌の上で転がるような名前の響きとお慕い甘やかしノリがたまらず、VRエロゲのせいで想像力の枯渇した中年オタでも妄想オナニーに供し得ることをここに告白しておきます。
 
 『ちおちゃんの通学路』ロス*4大空直美氏の男の娘キャラも沁み、『つぐもも』その他のこまっしゃくれ感と緒方智絵里氏のダダ甘フラジャイルとをなめらかに変転させる奇跡の結節点として、『のうコメ』箱庭ゆらぎ氏の甘い小生意気が今になって価値を増すように感じています。

www.nicovideo.jp 木戸衣吹氏の変わらないチープさは、『おにあい』と『エロマンガ先生』を筆頭に、若い身空にドープなオタの欲望を背負い込ませてしまったことへの贖罪として引き受けたいところがあり、ミリシタでの音痴演技には一周回った凄みも感じます。

 『のうコメ』以来欠乏気味な辻あゆみ氏の金髪ロリにも、『極上生徒会』まで遡る最高のアニメ体験の数々が振り返られ、引き締まった明瞭さと快い粘り気の両立した植田佳奈氏をここまで堪能できるのも、『学園アリス』か『ぺとぺとさん』以来かと思われます。
 
 高森奈津美氏のキャスティングが快活系に偏る傾向に不満感は募りますが、小清水亜美氏と原紗友里氏は気弱系で快楽度数が高く、浅倉杏美氏をベタなエロキャラに振っているのも嫌とは言えず、日高里菜氏も小倉唯氏も結局こってり甘いロリに振るのが正解とも認めてしまえば、洪水のような美少女群で無限に射精可能な状況に生きることをあえて選択してしまったわが行状を糊塗するために、しばらくはバタイユに集中したい気分です。
 
 いずれにせよ、至高なものは、守ることのできないものなのだ。至高なものを守ろうとすると、至高なものを裏切ることになる。だから、人間を価値あるものにしているもの、人間の名誉、人間の尊厳は、アンドレ・ジィドが言うように、犬の餌なのだ。

 私のなかには、至高なものの廃墟しかない。

(P.140「取るか棄てるか」)

ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)

ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)

 
 

 もちろん『若おかみは小学生!』を観に行きたいのですが金が無く、『フリクリ プログレ』こそガイナックス的なものに対する苛立ちに駆動され続けた青春に蹴りを付けるために観に行くべきかと迷いますが、『プリンセスメーカー』が難しすぎてどうしても娘を娼婦にしてしまうことの責任を取るために『ぷちぷり*ユーシィ』を見たほうがいい気もしますし、エロメイド服の利便性に落とし前をつけるために『これが私のご主人様』も消化しておきたく思われ、『ウテナ』と『フリクリ』と『トップをねらえ2!』で足踏みするような榎戸洋司ファンへの不信感が『忘却の旋律』を忘れがたい作品にしているとすれば、『少女歌劇レヴュースタァライト』の軽薄さに苛立つのも当然でした。そのあたりを消化してあるがままの今を、徹底した表層性に見える時代を肯定するためにオタ活動は続けたいのですが、しょうもなさに死ぬようなエロス的現実の記述も自らに義務付けたいところです。

 バーチャルセックスに飽きたあとは美少女になって歌って踊るのが最後に残ったオタ享楽の可能性かと思うのですが、『カスタムメイド』シリーズは下半身がどっしりしたエロゲ体型ゆえに母性を託しやすくもダンスが映えず、あとマルドロールちゃんは大画面でデレステをやりすぎて北斗の拳みたいになり、中指の筋肉が引き攣っただけでもやる気がなくなる子なので、おとなしく土方巽でも読みます。

*1:インタラクティブ飲酒システム

*2:直後にスカウトチケットが実装され、ガチャ文化に翻弄される主体の無力さと陶酔の味を初めて知った

*3:諸貧困ゆえ、寝て起きて米ばかり食べている神秘主義者なので、やる気・元気・寝起きなこめかわアイドルの全存在が沁みます

*4:『邪神ちゃんドロップキック』を喪った悲しみも深く、最近アニメの最終回が辛い

ヴァルター・ベンヤミン『陶酔論』

陶酔論

陶酔論

 

 被験者は机の上の壜のかたわらに丸まった紙屑があるのを見て、これを嬉しそうな声で《球たまちゃん》とか《立体鏡みたいな球たまちゃん》とか《立体鏡ちゃん》とか言う。(P.164)

 薬に対する猜疑心がまた強まった。被験者は《こんなもの、薬の効果じゃない》と言い、再度軍隊口調で《静粛に!》と言った。それから再度丸まった紙屑を見て、《おいで、球たまちゃん》と言い、《球たまは丸まる》、《丸まる球たま、まあるく、まんまるく》と言った。(P.165)

 被験者は今では薬の作用をはっきりと認めるようになった。このようなことを言うようになった――《メルク商会は実を上げた》。《僕にはイメージが一杯の演習場がある》。《イメージが一杯のテンペルホーフ飛行場がある》。あるいは《小部屋ちゃんと薬とを足すと、イメージが一杯のテンペルホーフになる》。(P.167)

 紙の上を滑る鉛筆の音が、被験者には《絹の上を滑る音》に聞こえる。《横滑りちゃん》――この語が何度も繰返される。(P.170)

 

 ベンヤミンちゃんかわいい。

 

 ウサミンよりベンヤミン

 

 (ウサミンも、いいよ!)

4Kデレステにハマり続けている話

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 スマートフォン向けゲームをプレイするために初めて自作PCを組む、という変な体験をしたので何か書いておきます。

 アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージという長い名前のスマホゲームはとにかく異様に負荷が高く、3Dリッチモードという演出強化が実装されてからはなおさら、レイヤーを重ねたリズムゲームと3D映像の両方を十全に楽しむために強くてでかいタブレットが必要なのですが、どうも解像度やアスペクト比など込みでしっくり来る機種が見当たらず、こうなればWindowsでエミュを介したMV観賞用環境も通り越し、Android x86を直接ぶちこんだ自作機とタッチパネル液晶で遊ぶ方法に挑むしかない*1、という結論に昨年頃達しました。

 海外輸入の液晶・基盤でケースを設計し、既製品にないサイズの4Kタッチディスプレイを自作している方から、17.3インチの製品*2を「一番おっきくてかっこよいな」と勢いで落札。積層アクリルのモニタキットをおっかなびっくり組み上げましたが、液晶と基盤を繋ぐeDPケーブルの刺し方が分からず壊し、泣きつく羽目に陥ってへこみました。

 モニタの次はPCの準備にかかり、まず液晶との相性問題でRadeonのグラボしか使えないので新調し、BIOSの設定方法とかも調べてなんとか自作機が動きましたが、今度はグラボとAndroid x86の相性問題が生じて画面が映らず*3、何度か交換してようやく動く中古グラボとAndroid x86のバージョンの組み合わせを探し当てたところで、今度はインストーラの問題でブートローダが不調で起動に失敗。

 むしろUbuntuを一旦入れてからデュアルブートにしたほうが楽という情報を信じ、VR用に越した広い木造アパートでエアコンが買えずに凍えながら暗号のようなCLIと格闘して昨冬を過ごし、結局なんで動いたのか自分でも把握できないまま、ようやくプレイできた時には謎の感動がありました。要は迂闊に手を出す遊びではなかったです。

 10万人ぐらいがイベントを走ってるゲームで、この手のことをやっているガチ技術系の方は100人いるのか分かりませんが、確かに4Kまで解像度を上げても映えまくるグラフィックで、緒方智絵里氏と乙倉悠貴氏と藤居朋氏と若林智香氏と遊佐こずえ氏と喜多日菜子氏と望月聖氏と佐城雪美氏とイヴ・サンタクロース氏とライラ氏と原田美世氏と横山千佳氏と綾瀬穂乃香氏と櫻井桃華氏と佐々木千枝氏となんか諸々が可愛すぎて混乱し、意味の分からない快楽度数に呑まれて猿のように毎日やり続け、最近になって突然3周年とか言われてしまい、この3年間自分は何をやっていたのだろうと思いました。

  VRエロゲとあわせて、人間の核心が工学的に処理されてしまうような実感に日々呆然とし、ボンクラなりにも人文知と工学知の両立の困難、みたいな話が最近身に沁みます。

  以下は書き散らしですが、アイマスシリーズ全体で言いますと、自分は世代的には思春期ドンピシャだったニコマスをガン無視してゼノグラシアだけ観ていた厄介筋のアニオタで、今になって動画編集能力の培われなさにへこむと同時、携帯版のタイミングではやはりスルーしたデレマスとミリオンが、肉体と化した途端にドハマリしてしまった信念の抜け落ち方に、自分で失望している近頃です。

 「せめて時代と寝るために」とデレステを始めた当初は『日出処の天子』を読んだ直後で鬱屈が深く、「白痴の女の子がたくさんいて怖いな」と不貞腐れていましたが、ドール趣味を経由したので、それと相通ずる「現前性が高い好きな女の子を着替えさせ見つめているとただそれだけで幸せ」という感覚で、軽蔑していた課金文化をも、他人を観測しさえしなければ腑に落とせたことは大きかったです。

 アイドルマスターミリオンライブシアターデイズというゲームだと、中谷育氏と七尾百合子氏と周防桃子氏と野々原茜氏と箱崎星梨花氏あたりなら何時間でも凝視できるのですが、長く付き合えば付き合うほど義理が深まり、好きになれる個体数もSSRも増え続け、キャラクターへの愛着を作品ごとに断念する憂鬱は解消された一方、ヌルヌル踊る3Dモデルの触覚的実在感とソシャゲの時間性の中で継続的に付き合うのも逆に泥沼で、生活感情は安定しますが言えぬ忸怩も募ります。

 ゲンロン8のゲーム特集の座談会は「10年代の国内オタ文化のある種の貧しさ」という問題を当てこすりでスルーしていた*4のが物足りず、その貧しさの中で自分なりの超越を措定して生きている人間としては、極めて技巧的な女性声優楽曲に乗ってノーツを高速連打する原初的な快楽の只中で入れ代わり立ち代わり踊り狂う数百人の美少女と瞬間ごとに目交い続ける4K60fpsの眩暈に、人間の認識能力を破壊して空虚と表裏の聖性を炸裂させる祝祭的オタ知覚世界のひとつの臨界点を見ざるを得ない体感があります。

 二次創作どころかゲーム内のコミュや周辺テキストも半分無視して意味を排し、キャラクターの肉体とだけ向き合うプレイスタイルが成立するのも安楽で、言い換えますと、他者に対する認識性能の根本的にしょぼい人類が、お互いに人間ではなくキャラクターとしてしか生きられない状況がVtuberで徹底化したとすれば、その悲しさや猥雑さへの抵抗として、幻想の投影と憧憬に踏みとどまる観念論的なキャラクター愛好の純粋性を、自分はアイマスさんから掠め取り続けたいのかもしれません。

 

 ところでPSVRを買ってアイドルマスターシンデレラガールズビューイングレボリューションという更に長い名前のゲームもやりましたが、ステージが遠くて解像度が足りず、別にミクさんのパンツは覗けても嬉しくないし、『閃乱カグラ』や『ぎゃるがん』はSteamでもできるので、『ドリームクラブ』の新作が出ないのであればと、見切りを付けてPS4ごと売り払いました。

 そのあたりの表現レベルに比較すると、目の前で全裸のメイドさんを踊らせたり、メッシュを突き抜けて巨大化したメイドさんに食べられたりできるカスメVRを、なんかオーパーツのように感じます。そのようなVRエロゲでの人工身体との交歓に匹敵する神経興奮作用をそなえたトゥーンレンダ女遊びが4Kデレステしか残っていない、という欲望も込みで導入したので、普通のアイマスファンの方に殴り殺されます。  

 アイドルといえば、声優さんのライブや現実のアイドルさんはすごい勢いで回避し続けているのですが、一度だけ東京ホビーショーか何かでPrizmmyのライブを見たことがあり、女子中学生の剥き出しの長い足が目の前にずらりと並んでいてとてつもなく恐ろしく、腰がぎくっとして目を背けた思い出があります。『プリティーリズム ディアマイフューチャー』は怖いアニメでしたが、『アイドルタイムプリパラ』でみあさんが踊った回はシリーズファン的に死ぬほど感慨深かったです。あとプリティーリズム歴代ヒロインの抱き枕カバーがコミケ販売中止になったそうですが、自分は『ジュエルペットてぃんくる』で身に覚えがある話で、伸縮性の無いスエード生地だったのであまり抱かずに押入れ行きでした。ところが主演の高森奈津美氏はその後『カガクなヤツら』という金子ひらく監督のOVAにて冒頭1分で童顔爆乳キャラの搾乳絶頂声を響かせ、裏名義出演のエロゲは禁欲していた自分は確か10回ほど使用し、事後の脳内には「しっぽのきもち前川みくver.が流れました。

 キャラクターとの生活において、老年の夫婦のように男根がしっぽじみた取るに足らない余計物に感じられるようになる日は、人生のどのあたりで訪れるのでしょうか。

 「ハッピーマテリアル」のイントロを聴くと全身が痙攣する持病が治らず、美少女という快楽物質に神経が冒されきった後にどう生きられるかで悩んでおり、この惨憺たるオタ余生が輝きの向こう側というやつなのでしょうか。 

 VRエロゲと4Kデレステに飽きられない日々の辛さをどう書けばいいのか分からず、万が一Pの方が通りすがりましたら、お目汚し失礼いたしました。

*1:https://halfcoin.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

*2:https://halfcoin.blog.fc2.com/blog-entry-60.html、最近HDMI対応基盤に交換してもらいました https://halfcoin.blog.fc2.com/blog-entry-73.html

*3:こういう感じになる https://halfcoin.blog.fc2.com/blog-entry-64.html

*4:今になって『ラブプラス』が「日本の停滞を象徴する作品」(P.60)と足蹴にされており、自分は相半ばする愛憎を振り返ってしんみり来ましたが、長くなる話なので稿を改めます

最近読んだ本(荻原規子、倉橋由美子、笙野頼子)

  ぼんやりアニメ版だけ見てると「ラスボス風だった高柳君が犬になっちゃった!(なんで?)」みたいな感想で終わりがちなRDGですが、自分は三つ編み眼鏡内気巫女さんCV早見沙織氏のヒロインにドンピシャ悶え狂い、同時期の『絶対防衛レヴィアタン』と並走して涎垂らしまくっていたクチで、続けて原作読んだら荻原氏の文章に惚れて『西の善き魔女』や勾玉三部作まで遡った流れでした。

 久々の新作はおまけ短編とスピンオフ中編で、懐かしさが沁みるのと、あと脳内再生しながら『桃華月憚』以来早見沙織氏がものすごく真剣に好きだった頃のことを思い出しました。

 上橋菜穂子氏が有無を言わせぬ文化人類学パワーで殴ってくるのに対し、神道、山伏など日本土着の霊性や歴史要素と学園物のリアリティを、抑制された筆致で危うい綱渡りのように併存させるバランス感覚が不思議な読み味で、ラノベ風のガワから踏み込んでファンタジーの微細な快楽を教えてもらえた本作だったかなと振り返って思います。

 ラノベ読者としては、幼年期にガンダムノベライズやハルヒやシャナやドクロちゃんから普通に入ったあと、いかにもなオタエンタメでは『緋弾のアリア』が吹っ切れすぎた馬鹿なので唯一追い、作家単位では田中哲弥氏、中村九郎氏、清水マリコ氏あたりに趣味が落ち着き、石川博品氏は巧すぎてあまり馴染めず、江波光則氏ぐらい情念が赤剥けているほうが好きかな、とかのろのろ読んでるうちに時代が発狂して拘りが失われ、物語より文体を小説に求めるタイプと自覚された結果、他のジャンルの勉強にシフトした近年です。 

 それこそ「精神の生理から来る文体に対する好悪には理屈を超えたものがあり、人が他人の思想に共感を抱いたり反撥したりすることとこの好悪とはひとつのこと」(「反埴谷雄高」論)という感覚が根強く、なろう小説を掘れる人を尊敬するしかないのですが、ともあれ『聖少女』で衝撃を受けて以来、『反悲劇』までの前期倉橋氏の文章にたまに立ち返ると元気が出ます。

 「生きた、軟かいことばをもって現実のほうへとはいよっていく種類の小説ではなくて、死んだ、超越的なものだけを指向することばによって構成された小説」(P.243)と媾合する快楽だけを糧に籠城する不安に耐えられず、駄文を連ねています。

アマノン国往還記 (新潮文庫)

アマノン国往還記 (新潮文庫)

 

 言語の根腐れた女人国にやってきた宣教師がセックス番組でテレビ宣教、という男根と一神教を重ね合わせた馬鹿ユートピアジョン・ハンフリー・ノイズっぽいですが、前期の反小説と比べた冗長さと毒の抜け方が食い足りず、女人国物でいえば『家畜人ヤプー』のマゾヒズムすら冗談と感じない昨今なので、続けて文藝に一挙掲載された笙野頼子氏の『ウラミズモ奴隷選挙』を読みました。

文芸 2018年 08 月号 [雑誌]

文芸 2018年 08 月号 [雑誌]

 

 同根と思しい憂鬱を抱えながらも「ゼロ年代」的な狂騒には乗り遅れ、「セカイ系」という言葉の軽薄さにも耐えきれず、消え去っていくエロゲ論壇的なものへの妙な憧れも引きずっていましたが、オタ文化の言説だけでは捉えきれない感情が多すぎ、自分の問題を「ネオリベ環境下における自己内他者への極私的信仰」という文脈に置き換えれば、同族/男性/自己嫌悪を慰める意味も込みで、『硝子生命論』や『萌神分魂譜』あたりを筆頭に、笙野氏は熱心に読んでいました。

 とはいえ、脱政治的な読み方でオタとしての自分を無害化しきることもできず、すでにして「中韓にできないポルノやロリ表現にしか日本オタ文化のウリやら核やら誇りやら特異性やらが見出せず、表現の自由/反表現規制問題が性に出発してナショナリズムにも繋がりうる社会運動と化している」*1という悲惨があり、そうした更科修一郎風の指摘を黙殺し続けたオタ文化が、遂に行き着くところまで行ってしまった現実をせめて意識するために、笙野氏の近作も追い続けるしかないと思っています。

 ただ正直、女性国家ウラミズモの男性保護牧場にフォーカスしたこの新作は重すぎ、半日寝込みました。

 ……この翌月、語り手は旧住所旧男性保護牧場で第二代浦知良氏臨場の最終審査を通過し(応募者は本人一名のみ)、男性保護牧場、「表現と射精」部生体研究所の、第二代総括部長として、いわゆる射精部に赴任した。 そして施設が移転した現在でもそこでにっほんから預かったひょうすべの息子たちの「表現の自由」擁護と、「射精という人間本来のもっとも大切な本能」に関し「理解と支援」を与えて国家貢献している(つまり移民の中の出世頭である)。(P.192)

 加えて書類に書く、破損理由、これを見せる。「相手が妊娠しないので腹を殴れず、退屈して首をしめた頭部損傷」、「やりたかったから脚切断」、「頭突き二百回、口応えの罰だぞ、きぬ、枕全体破壊」、「さあ姉妹でエスエムしてみろ、銀鈴、しなければ梅毒の刑だ」、「小学生なんだろ、市川うんこかけさせろ」「おおおお、お母ちゃん死んだねえ、ねえ今どんな気分、一晩殴ってあげる」

 「枕」とは呼ぶものの彩色はしていないが、それは確かに爪の凹凸までリアルな型のある少女の人形である。「これは二代目の浦さんの子ども時代、原寸大です御本人が政権についてから自分で、……」(P.220)

 おんたこ三部作は「生きながらロリコンに葬られ、それでもなおどういうわけか地上を彷徨っている」(中里十氏)人間のためにあると信じますが、オタの快楽主義を保ったまま笙野氏を語るには踏ん切りが付かず、工学的快楽に呑まれた自分を人間と信じられない今に至っては、せめて葛藤してる素振りぐらいは見せたほうが、という程度に何か書いておきたく思いますが。

3D彼女、魔法少女サイト、学園ベビーシッターズ、ミイラの飼い方、クジラの子らは砂上に歌う、魔法少女俺、ラストピリオド、天体による永遠

 年を取って深夜アニメとの付き合い方に悩んでいます。近頃はdアニメストアアマゾンプライムで観れる範囲に視界を限るも、オンデマンド環境における再生ボタンの重さ以上に、自分のちんこの正当化に縮減された理性でしかアニメを見れない絶望で走れず、1話で大枠掴んだつもりの愚痴ばかりが多くなり、ゴミの山を産湯と浸かったジャンク嗜癖が変わる気配もありません。

 文化共同体のお約束とおためごかしに倦み、手汗と精液が相滲むビジュアルのモード的洗練に胃が爛れてなお、欲望の時空に時たまひらめく不確かな美の伝達と、コンテンツの恣意的な選択を個人の歴史として抱え込んだヒステリー的言説の無意味さを試すことには、未だ執着が残っています。

 幼児性と誘惑と眩暈、記述不可能な情報量と感覚質、不定形の身体イメージから奔出する生命感、生活に添い認識能力を蝕む時間性。アニメが人類に早過ぎた揺り戻しがVtuberのテレビ感なのか、単純な快楽効率では分が悪くなりゆくコンテンツ状況の現今に、わざわざ全話見てしまった最近の作品の、感じだけでもまとめておこうかと思います。

 

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 1話時点では勘違い脱オタ恋愛話(電車男)を10余年越しにくるりOPでやるかと戦慄し、君に届けアオハライドorangeほか堅固なリア充キラキラ仕立ての後塵も拝さぬさっぱりとしたデザインとセルで、謎メルヘン物質が浮遊するイメージバック+主線色トレスやタイポグラフィで一応盛るもノリは平熱、恋愛も葛藤もギャグもオフビートで芋く流す基調にかえって作劇のパンチが際立ち、当初はゾクゾクきてました。

 その古拙さが徐々にオタの弱さにもギャルの切実にもモードの賢しさにも偏らない、不思議に突き放した繊細さの表現に感じられ、一笑に付しがちな質朴が危うい均衡で転じて、こだわりを脱臼させられる快楽に至ったのは儲け物でした。

 登場人物の和やかさと映像の柔らかさが合致した、心地良く笑いを誘う温度感も肌に合い、「作画の崩れ」という価値判断をもたらすような絵面をそのまま表現として受け取る態度の、健全な有効性を証してくれる作品の一つとも思います。

  こちらは完全にジャンクなやさぐれポルノとして、久々にアルコール抜きで一気見に能い、こういう作品を切実に欲する自分に凹んだり元気が出たりしました。

 トータルの絵面は『WIXOSS』のアップデートを期待させて、暗い画面でひたすら宮野真守が困っていた『魔法戦争』か『王様ゲーム』並のアナーキズムに急ハンドル。ダーク魔法少女文脈への丹念な拘りに渋面した『魔法少女育成計画』の憂さを晴らしてくれるが如き、ベタなメンヘラ終末論サバイバルを当今風のアンモラルで押し切る力強さを頼もしく思いました。

 主人公の朝霧さんはクマ深いガン開き瞳孔(裂傷ハート目は天才)と頭部のでかい瘦せぎすが全カット不安定で疱瘡のようにブニャブニャしている存在感がかわいすぎ、能力を使うたびに頭部から出血する男の娘もいちいち面白く、芹澤優氏の死に様は馬鹿と悲しさが相混じって呆然としました。低めの茜屋日海夏氏もハマった荒み感で、全体にジャンル的桎梏をねっとりとズラしかつ暴発させる謎構築の快感でいえば、長崎市民が主人公たちの屋敷を焼き討ちにする『幻影ヲ駆ケル太陽』ばりかと思いました。

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 桜井弘明監督作品の魅力を急に言えば、完璧に統御された緩急と徹底した登場人物への暖かな眼差しがアニメ世界のエロス化にまで到達した何かだと思っており、その最たる『会長はメイド様!』以来の多幸感になぜか包まれてしまった少女漫画原作アニメが本作でした。本作は桜井監督ではないです。森下柊聖監督は何者でしょうか。

 ばらスィー的な小慣れたスタイルの電撃系ロリ『三ツ星カラーズ』を同時期の隠れ蓑に、かぼちゃパンツのふたつくくりで舌足らずなきりんちゃんという極めてプリミティブかつ純観念的な童女を無言で凝視できて幸せでした。というか原作ちらっと読んだらアニメ以上に性的な優しさで満ちておりヤバく、自分は少女漫画の沼に沈んだら確実に気が狂うから美少女アニメで我慢しているのかなと思いました。

 巨乳の片想い女子ももっちりした無口弟も健気な育児男子も腕白な三瓶由布子氏も笑む齋藤彩夏氏も泣く種崎敦美氏も刺々しい明坂聡美氏も全部エロく、結局近代とは家族の問題なのでしょうか。おれのセックスはフロイトだけで片が付くなと絶望し、「これが母性のディストピアか」とうっかり買ったクソ本をゴミ誤用したくなりました。

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 大槻敦史氏、藤原佳幸氏、かおり氏あたりのハイエンド系美少女アニメ演出家への向き合い方は非常に難しく、ものすごく上手い方にギラつくオタ絵を統制されると糖衣で生肉を嚥下するように胃もたれが激しいので、comico原作の素朴なデザインへの回帰や小動物の所作にその技量が注がれる本作は流動食として高価値でした。

 Webコミック原作・中国資本・海外展開などで作品の多様化する傾向は有り難くも、ただでさえ難しい主体側の文脈付けがいよいよ大変になり、数年ぶりに趣味でアニメ感想を書こうにもどういう書き方をすれば誰に届くのかがさっぱり分からず、結局は個人の現場主義をいかに研ぎ澄ませられるかに関心が落ち着きます。

 小さなものの触れがたき可傷性と凝縮された存在感には無条件で鼻血が出、もう一度『武装神姫』のような名作が観たいのですが、『フレームアームズガール』はとても川口敬一郎氏でしたし、1期の花江夏樹氏が宗教的だった『リルリルフェアリル』の新シリーズはネットで配信されると嬉しいです。

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 ざくっとした描線処理と色彩淡めな飯塚晴子キャラがサトジュン演出の軛を離れた解放感、というと『たまゆら』のつらみを吐露しているだけですが、J.C.STAFFの堅実な手付きがネトフリ独占で海外意識のファンタジーに適用されると、大作志向も嫌味にならず馴染み良い感触でした。

 金元寿子氏が序盤で死ぬのは早見沙織氏を早々に殺したSAO同様に憮然とし、愁嘆場はクドいながらもバランスの良すぎる絵作りで、大畑清隆コンテ回のすっとぼけ方や褐色ピンク髪の山下大輝氏も非常にキュートでした。キャラを声優名で代替し続けるのは下品ですが、せめての文字数の削減ゆえご寛恕ください。

 イシグロキョウヘイ監督は『オカルティック・ナイン』が素で面白かったり、『ランス・アンド・マスクス』があまりにもすごすぎるので『庶民サンプル』と一緒に褒めたらやらおんに晒されて人類遅れてるなあと思ったりしたので好きです。

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 マッチョネタの政治的な是非やギャグとしての寒さ面白さはどうでもよく、大橋彩香氏の真っ直ぐなアップチューンにステロヤクザやオタ芸をベタッと同期させる脂っこさもむしろアリで、『犬とハサミは使いよう』が脳裏によぎるも比べれば全然淡白、というかウメケンマンボもふわっふわのまほうも桜trickOPもサクラハッピーイノベーションもWUGの健康ランド水着踊りも、アニメのダンスは全て最高の快楽なのでどんどん過剰になってほしいです。

 原作の方はBL出身の美麗タッチとうすた京介調ギャグの落差が特徴的で、大地丙太郎監督とかが理想かとも思いましたが、監督構成脚本絵コンテアフレコ演出全部やってる川崎逸朗監督のバイタリティが超怖くて文句を言えません。

 それでも第4話のアニメ制作ネタ回は、「アニメ業界は一度滅んだほうがいい」という迂闊に表明できない本音や葛藤を孕んだような、じっとりした手付きのパロディの繋ぎ方が不穏に感じられ、最終回でエヴァになった『レディジュエルペット』の衝撃の後だと、そんな電波を頼りに監督のアニメを観続けてしまいます。願望の投影なのは分かっています。

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  私の立場を簡潔に述べれば「『フタコイオルタナティブ*1』よりも『双恋*2』」で、オタのドグマが自家中毒を起こして発狂したアニメを観てともに発狂する体験に生の実感を求めています。レビュー欄の言説に使われている実況向けとかクソアニメとかの用法が10余年前から一切変わっていない絶望は今更どうでもよく、タダ飯を食う茶飯事に主体を問い直す「鑑賞」態度こそが必然倒錯に陥るわけです。たぶん実況では「そのうーうー言うのをやめなさい!!」ってコメントがたくさん付いていると思うので楽しそうです。

 ソシャゲネタのフォーマット、田村ゆかりの超越性、オタのモードの確固たる追認と自己言及。とりわけけもフレ回は嫌がらせレベルの執拗な丁寧さで、なまじ映像も勘所を押さえまくっているだけに、ハードコアな保守の凄みが炸裂している岩崎良明監督作品です。

 男女声優デュエット楽曲が『あっちこっち』並にゆるふわドープなOPは、大畑清隆コンテのシンプルな反復のリズムで静謐なトリップにオタを導きますが、ところで反復の反-快楽といえば皆さんご存じの通りエンドレスエイトではなく『もえがく★5』です。鬱の反芻思考が欲望の螺旋よりも退屈なのは分かっています。

 デザインゴテゴテの大量の美少女がゲスト出演で入れ替わり立ち替わる個体識別できない眩暈は『ファンタジスタドール』ですが、異様に乳ばかり強調した水着回まじぽか金子ひらく回をも想起させ、最高のアニメの記憶を一挙に引き受けた本作の水着回は発狂しています。

 美少女アニメ保守本流、クオリティコントロールが肝の現場派かと思わせる岩崎良明氏ですが、この「作家性なき作家性」みたいな無思想の軽やかな屈託のない優美が更に極まると八谷賢一氏で、ボンヤリした萌えアニメに青春を賭けた人間にとっては特別な名前、だのにかけるべき特別な言葉は今でも見つかりません。まじぽかネタすら陳腐化した昨今ですが、思想も倫理も拒絶するオタアニメの「単純ゆえに精妙な反復的快楽」を洗練させ続ける作家として、今後も付いていきたいと思います。

 こんな死ぬほど下らない路傍の嘔吐を煮込むにも丸3日かかるので、個人の有限性を元手にアニメを語る人間が激減するのは当然でした。いい年なので言説に方法論を身に着けたいのですが、脳が腐って戻りません。

 

 何がラストでどうピリオドなのか分からず、本当に終わりなき螺旋の中をここ数年ぐるぐるし続けている気がします。最近、近代という反復の地獄に倦んだ19世紀の革命家が、ニーチェに先んじて永劫回帰の観念に到達し、「全時間軸の各瞬間ごとの無限の地球と人類」というエロゲそこのけのやばい宇宙論を獄中で綴った本を読みました。

天体による永遠 (岩波文庫)

天体による永遠 (岩波文庫)

 

 瓜二つの人間、何十億という瓜二つの人間の形を借りて、我々がその幸福を永遠に味わってきたし、味わい続けるだろうと想像することもまた、別の楽しみではないだろうか? 彼らもまた明らかに我々自身なのだから。けれども、多くの狭量な人々にとっては、代理によるこうした喜びは、余り気乗りのしないことである。彼らには、無限な存在のすべての複本よりも、現行版の三、四年の増補の方がよいのである。幻滅と懐疑主義の我々の世紀にもかかわらず、みんなガツガツとこの世にしがみついているのである。

P.135 

 

 「ポップカルチャーからの卒業」概念は欺瞞 、と嘯いていた人々はよほど純真だったのか、既に自分を対象とはしていない若者文化とどこまで向き合い続けるべきか、さよならを困難にする時代の諸条件とどう距離を置くのか、コンテンツの絶対量を前に否応絡む個人の限界をいかに引き受けるのか、引き算と引き際こそが愛の問題だと今は考えています。

*1:主人公とお別れセックスがしたくてたまらない双子が夜の街を彷徨する謎叙情と共に巨大イカが商店街を焼き払うufotableのインディペンデント性が後のらっきょやフェイトゼロにまで繋がった、金月龍之介氏の燃やした煌めき

*2:自分がなぜ大量の双子に好かれるのか苦悩し始めた主人公が作劇に置き去りにされ、画面の隅っこでジャンプして終わったアニメ