おしゃべり!おしゃべり!

映像文化を通じた「無目的な生」の証言。21世紀初頭における人間の変容を捉えなおす一助になれば。

3D彼女、魔法少女サイト、学園ベビーシッターズ、ミイラの飼い方、クジラの子らは砂上に歌う、魔法少女俺、ラストピリオド、天体による永遠

 年を取って深夜アニメとの付き合い方に悩んでいます。近頃はdアニメストアアマゾンプライムで観れる範囲に視界を限るも、オンデマンド環境における再生ボタンの重さ以上に、自分のちんこの正当化に縮減された理性でしかアニメを見れない絶望で走れず、1話で大枠掴んだつもりの愚痴ばかりが多くなり、ゴミの山を産湯と浸かったジャンク嗜癖が変わる気配もありません。

 文化共同体のお約束とおためごかしに倦み、手汗と精液が相滲むビジュアルのモード的洗練に胃が爛れてなお、欲望の時空に時たまひらめく不確かな美の伝達と、コンテンツの恣意的な選択を個人の歴史として抱え込んだヒステリー的言説の無意味さを試すことには、未だ執着が残っています。

 幼児性と誘惑と眩暈、記述不可能な情報量と感覚質、不定形の身体イメージから奔出する生命感、生活に添い認識能力を蝕む時間性。アニメが人類に早過ぎた揺り戻しがVtuberのテレビ感なのか、単純な快楽効率では分が悪くなりゆくコンテンツ状況の現今に、わざわざ全話見てしまった最近の作品の、感じだけでもまとめておこうかと思います。

 

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 1話時点では勘違い脱オタ恋愛話(電車男)を10余年越しにくるりOPでやるかと戦慄し、君に届けアオハライドorangeほか堅固なリア充キラキラ仕立ての後塵も拝さぬさっぱりとしたデザインとセルで、謎メルヘン物質が浮遊するイメージバック+主線色トレスやタイポグラフィで一応盛るもノリは平熱、恋愛も葛藤もギャグもオフビートで芋く流す基調にかえって作劇のパンチが際立ち、当初はゾクゾクきてました。

 その古拙さが徐々にオタの弱さにもギャルの切実にもモードの賢しさにも偏らない、不思議に突き放した繊細さの表現に感じられ、一笑に付しがちな質朴が危うい均衡で転じて、こだわりを脱臼させられる快楽に至ったのは儲け物でした。

 登場人物の和やかさと映像の柔らかさが合致した、心地良く笑いを誘う温度感も肌に合い、「作画の崩れ」という価値判断をもたらすような絵面をそのまま表現として受け取る態度の、健全な有効性を証してくれる作品の一つとも思います。

  こちらは完全にジャンクなやさぐれポルノとして、久々にアルコール抜きで一気見に能い、こういう作品を切実に欲する自分に凹んだり元気が出たりしました。

 トータルの絵面は『WIXOSS』のアップデートを期待させて、暗い画面でひたすら宮野真守が困っていた『魔法戦争』か『王様ゲーム』並のアナーキズムに急ハンドル。ダーク魔法少女文脈への丹念な拘りに渋面した『魔法少女育成計画』の憂さを晴らしてくれるが如き、ベタなメンヘラ終末論サバイバルを当今風のアンモラルで押し切る力強さを頼もしく思いました。

 主人公の朝霧さんはクマ深いガン開き瞳孔(裂傷ハート目は天才)と頭部のでかい瘦せぎすが全カット不安定で疱瘡のようにブニャブニャしている存在感がかわいすぎ、能力を使うたびに頭部から出血する男の娘もいちいち面白く、芹澤優氏の死に様は馬鹿と悲しさが相混じって呆然としました。低めの茜屋日海夏氏もハマった荒み感で、全体にジャンル的桎梏をねっとりとズラしかつ暴発させる謎構築の快感でいえば、長崎市民が主人公たちの屋敷を焼き討ちにする『幻影ヲ駆ケル太陽』ばりかと思いました。

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 桜井弘明監督作品の魅力を急に言えば、完璧に統御された緩急と徹底した登場人物への暖かな眼差しがアニメ世界のエロス化にまで到達した何かだと思っており、その最たる『会長はメイド様!』以来の多幸感になぜか包まれてしまった少女漫画原作アニメが本作でした。本作は桜井監督ではないです。森下柊聖監督は何者でしょうか。

 ばらスィー的な小慣れたスタイルの電撃系ロリ『三ツ星カラーズ』を同時期の隠れ蓑に、かぼちゃパンツのふたつくくりで舌足らずなきりんちゃんという極めてプリミティブかつ純観念的な童女を無言で凝視できて幸せでした。というか原作ちらっと読んだらアニメ以上に性的な優しさで満ちておりヤバく、自分は少女漫画の沼に沈んだら確実に気が狂うから美少女アニメで我慢しているのかなと思いました。

 巨乳の片想い女子ももっちりした無口弟も健気な育児男子も腕白な三瓶由布子氏も笑む齋藤彩夏氏も泣く種崎敦美氏も刺々しい明坂聡美氏も全部エロく、結局近代とは家族の問題なのでしょうか。おれのセックスはフロイトだけで片が付くなと絶望し、「これが母性のディストピアか」とうっかり買ったクソ本をゴミ誤用したくなりました。

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 大槻敦史氏、藤原佳幸氏、かおり氏あたりのハイエンド系美少女アニメ演出家への向き合い方は非常に難しく、ものすごく上手い方にギラつくオタ絵を統制されると糖衣で生肉を嚥下するように胃もたれが激しいので、comico原作の素朴なデザインへの回帰や小動物の所作にその技量が注がれる本作は流動食として高価値でした。

 Webコミック原作・中国資本・海外展開などで作品の多様化する傾向は有り難くも、ただでさえ難しい主体側の文脈付けがいよいよ大変になり、数年ぶりに趣味でアニメ感想を書こうにもどういう書き方をすれば誰に届くのかがさっぱり分からず、結局は個人の現場主義をいかに研ぎ澄ませられるかに関心が落ち着きます。

 小さなものの触れがたき可傷性と凝縮された存在感には無条件で鼻血が出、もう一度『武装神姫』のような名作が観たいのですが、『フレームアームズガール』はとても川口敬一郎氏でしたし、1期の花江夏樹氏が宗教的だった『リルリルフェアリル』の新シリーズはネットで配信されると嬉しいです。

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 ざくっとした描線処理と色彩淡めな飯塚晴子キャラがサトジュン演出の軛を離れた解放感、というと『たまゆら』のつらみを吐露しているだけですが、J.C.STAFFの堅実な手付きがネトフリ独占で海外意識のファンタジーに適用されると、大作志向も嫌味にならず馴染み良い感触でした。

 金元寿子氏が序盤で死ぬのは早見沙織氏を早々に殺したSAO同様に憮然とし、愁嘆場はクドいながらもバランスの良すぎる絵作りで、大畑清隆コンテ回のすっとぼけ方や褐色ピンク髪の山下大輝氏も非常にキュートでした。キャラを声優名で代替し続けるのは下品ですが、せめての文字数の削減ゆえご寛恕ください。

 イシグロキョウヘイ監督は『オカルティック・ナイン』が素で面白かったり、『ランス・アンド・マスクス』があまりにもすごすぎるので『庶民サンプル』と一緒に褒めたらやらおんに晒されて人類遅れてるなあと思ったりしたので好きです。

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 マッチョネタの政治的な是非やギャグとしての寒さ面白さはどうでもよく、大橋彩香氏の真っ直ぐなアップチューンにステロヤクザやオタ芸をベタッと同期させる脂っこさもむしろアリで、『犬とハサミは使いよう』が脳裏によぎるも比べれば全然淡白、というかウメケンマンボもふわっふわのまほうも桜trickOPもサクラハッピーイノベーションもWUGの健康ランド水着踊りも、アニメのダンスは全て最高の快楽なのでどんどん過剰になってほしいです。

 原作の方はBL出身の美麗タッチとうすた京介調ギャグの落差が特徴的で、大地丙太郎監督とかが理想かとも思いましたが、監督構成脚本絵コンテアフレコ演出全部やってる川崎逸朗監督のバイタリティが超怖くて文句を言えません。

 それでも第4話のアニメ制作ネタ回は、「アニメ業界は一度滅んだほうがいい」という迂闊に表明できない本音や葛藤を孕んだような、じっとりした手付きのパロディの繋ぎ方が不穏に感じられ、最終回でエヴァになった『レディジュエルペット』の衝撃の後だと、そんな電波を頼りに監督のアニメを観続けてしまいます。願望の投影なのは分かっています。

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  私の立場を簡潔に述べれば「『フタコイオルタナティブ*1』よりも『双恋*2』」で、オタのドグマが自家中毒を起こして発狂したアニメを観てともに発狂する体験に生の実感を求めています。レビュー欄の言説に使われている実況向けとかクソアニメとかの用法が10余年前から一切変わっていない絶望は今更どうでもよく、タダ飯を食う茶飯事に主体を問い直す「鑑賞」態度こそが必然倒錯に陥るわけです。たぶん実況では「そのうーうー言うのをやめなさい!!」ってコメントがたくさん付いていると思うので楽しそうです。

 ソシャゲネタのフォーマット、田村ゆかりの超越性、オタのモードの確固たる追認と自己言及。とりわけけもフレ回は嫌がらせレベルの執拗な丁寧さで、なまじ映像も勘所を押さえまくっているだけに、ハードコアな保守の凄みが炸裂している岩崎良明監督作品です。

 男女声優デュエット楽曲が『あっちこっち』並にゆるふわドープなOPは、大畑清隆コンテのシンプルな反復のリズムで静謐なトリップにオタを導きますが、ところで反復の反-快楽といえば皆さんご存じの通りエンドレスエイトではなく『もえがく★5』です。鬱の反芻思考が欲望の螺旋よりも退屈なのは分かっています。

 デザインゴテゴテの大量の美少女がゲスト出演で入れ替わり立ち替わる個体識別できない眩暈は『ファンタジスタドール』ですが、異様に乳ばかり強調した水着回まじぽか金子ひらく回をも想起させ、最高のアニメの記憶を一挙に引き受けた本作の水着回は発狂しています。

 美少女アニメ保守本流、クオリティコントロールが肝の現場派かと思わせる岩崎良明氏ですが、この「作家性なき作家性」みたいな無思想の軽やかな屈託のない優美が更に極まると八谷賢一氏で、ボンヤリした萌えアニメに青春を賭けた人間にとっては特別な名前、だのにかけるべき特別な言葉は今でも見つかりません。まじぽかネタすら陳腐化した昨今ですが、思想も倫理も拒絶するオタアニメの「単純ゆえに精妙な反復的快楽」を洗練させ続ける作家として、今後も付いていきたいと思います。

 こんな死ぬほど下らない路傍の嘔吐を煮込むにも丸3日かかるので、個人の有限性を元手にアニメを語る人間が激減するのは当然でした。いい年なので言説に方法論を身に着けたいのですが、脳が腐って戻りません。

 

 何がラストでどうピリオドなのか分からず、本当に終わりなき螺旋の中をここ数年ぐるぐるし続けている気がします。最近、近代という反復の地獄に倦んだ19世紀の革命家が、ニーチェに先んじて永劫回帰の観念に到達し、「全時間軸の各瞬間ごとの無限の地球と人類」というエロゲそこのけのやばい宇宙論を獄中で綴った本を読みました。

天体による永遠 (岩波文庫)

天体による永遠 (岩波文庫)

 

 瓜二つの人間、何十億という瓜二つの人間の形を借りて、我々がその幸福を永遠に味わってきたし、味わい続けるだろうと想像することもまた、別の楽しみではないだろうか? 彼らもまた明らかに我々自身なのだから。けれども、多くの狭量な人々にとっては、代理によるこうした喜びは、余り気乗りのしないことである。彼らには、無限な存在のすべての複本よりも、現行版の三、四年の増補の方がよいのである。幻滅と懐疑主義の我々の世紀にもかかわらず、みんなガツガツとこの世にしがみついているのである。

P.135 

 

 「ポップカルチャーからの卒業」概念は欺瞞 、と嘯いていた人々はよほど純真だったのか、既に自分を対象とはしていない若者文化とどこまで向き合い続けるべきか、さよならを困難にする時代の諸条件とどう距離を置くのか、コンテンツの絶対量を前に否応絡む個人の限界をいかに引き受けるのか、引き算と引き際こそが愛の問題だと今は考えています。

*1:主人公とお別れセックスがしたくてたまらない双子が夜の街を彷徨する謎叙情と共に巨大イカが商店街を焼き払うufotableのインディペンデント性が後のらっきょやフェイトゼロにまで繋がった、金月龍之介氏の燃やした煌めき

*2:自分がなぜ大量の双子に好かれるのか苦悩し始めた主人公が作劇に置き去りにされ、画面の隅っこでジャンプして終わったアニメ

オタ代謝改善

 下半身の話しかしない(できない)ことは倫理と同時に病気なので、直近飲み下した映画や本の感想で気を散じ、言語と映像文化のあいだに引き裂かれて身動きが取れない症状を緩和していきたいと思います。

 女優の肉体が実写→CG→アニメ→ドラッグへと還元されゆく流れには本当にすみませんしかありませんが、下層の人々が理想の肉質で生活する未来社会のイメージに関しては、自分含めあまりに多形倒錯的というか奔放に過ぎる自己像を量産し続けるVtuberという現実のせいで早くも半分陳腐に見えてしまい、人類が怖いなと思います。

  水磔で波濤に打たれる塚本晋也氏の肉体がすごかったです。原作では穴吊りにされた信徒の呻き声を鼾と聞き違える部分が好きです。踏み絵を赦す恩寵の逆説が肝ですが、聖像を愛しながら踏みつけ嘲笑し嬲り唾と精液を浴びせ交換し忘却する営為を受け入れることが私の取り得た沼地での信仰の形式なので、たまにこういう映画を観ると救われます。最近『サド伝』や『白い人』を読み、初期作品の処女に対するサディズム黄色人種の劣等意識はもちろん、日本における先駆的なサド論者としてのお株を『サド復活』で澁澤氏に奪われたりする遠藤氏がかわいいなと思いました*1

ある巡礼者の物語 (岩波文庫)

ある巡礼者の物語 (岩波文庫)

 

 イエズス会つながりの積読消化ですが、明晰な内省と極端な苦行と派手な神秘体験が淡々とした記述で凝縮され、普通に楽しい本です。通りすがりに聖母を貶した騎士を短剣で刺そうかなと素で悩んだり、ペスト患者に触れた手を口の中で何日も掻き回し続けたりするところが良かったです。

 弱者男性と商業性の癒着という避け得ない歪みが現代オタ諸問題の根とすれば、内的真理と世俗権力の葛藤を生きるカトリシズムの思考は、いくら勉強してもし足りないと考えています。 

シックスサマナ 第32号 人生の後始末

シックスサマナ 第32号 人生の後始末

 

 生前異様に存在感が薄かった謎の男性がボロアパートで孤独死しているのを大家の方が発見し、正体を調べるとフランス書院文庫でデビューした槇祐介氏という官能小説作家の方だと判明、その人となりはとにかく人と喋らず女子高生のアナルが大好きで、しかも使ってるRealforceのキーボードが自分と同じなのでやめろよと思う特集でした。自分の学生時代のあだ名はカオナシだったのですが、そういう人はわりと多いのではないかと思いました。
 「ダークウェブの歩き方」が相変わらず出色で、児童ポルノトレーディングカードゲームはちょっとやってみたいなと思いました。やらないです。

ユリイカVtuber特集号の感想というよりは鬱

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 

 多様な文脈が交錯した界隈の楽しさが凝縮された一冊で、初めて読んだ丹生谷貴志氏の「実況者が喋らないゲーム実況動画をひたすら漁り続ける」みたいな文章が良かったり、窓ハルカ氏もVtuberやってたのかというかもっと漫画描いてくれと思ったりしました。

 個人的に重かったのは、さやわか氏・ばるぼら氏・黒瀬陽平氏の座談会における、「さらりと事務所が介入してたり投げ銭やばかったり二次元コンテンツの中では極めてアイドル文化に近しい部分があるよね」という文脈で、でも旧来のキャラクター文化ってアイドル的なガチ恋ワンチャンがないことを知りながら二次元の世界に導かれるようなものだったわけで、「Vtuberの隆盛って巷間囁かれるのとは逆に、実はキャラクター文化の敗北ではないのか」という黒瀬氏の指摘です。

 これに続く流れで、ざっくり「ガワの構成でキャラの内面が示唆される」というわりあい静的な動ポモのデータベース概念を、時間性があって継続的に変化するものとして捉え直したさやわか氏の『キャラの思考法』の図式も参照されています。

 のらきゃっと氏のモデルが変わったら彼女の同一性ってどうなるんだろう、みたいな問題がファンの方に語られたりしてたと思いますが*1、要は、キャラの肉体とかのレベルですら時々刻々と変化していくダイナミズムがこれまでとは一線を画するVtuberの肝だよね、という話題です。

 この「静的/動的なキャラクター文化」という大掴みな図式でいえば、どちらかというと自分は前者、つまりスタティックに固定されたキャラクター図像や作品単位で喚起される欲望の領域に救いを求めていた人間で、確かにVtuberの中の人のアイドル的運用や崇拝の側面には関心がなく、消費者としては正直、現象として最もラディカルなねこます氏を観測するだけでほぼお腹いっぱいな感もあります。

 Vtuber全体に関しては、シーンの理論的把握も現場的消費もなあなあで済ませ、ネット生活の一手段として諸個人が融通無碍に活用してほしいし自分もしたいな、という気持ちしかありませんが、それゆえにキャラクター文化としてはある種の純度を欠くこと、そこから取りこぼされる何かや感性の断絶があるということは、誰かと共有したいけど共有する友達がいないなと思いました。

 海猫沢めろん氏も寄稿してますが、氏もそうした二次元への信仰をあるタイミングで吹っ切ったタイプの方で、そういう上の世代の憑き物落とし的な『左巻キ式ラストリゾート』や『ひまわりスタンダード』をなんでおれ今更読んでるんだろうなと思います。

 以下はただの日記なのですが、ネットで鬱を晒しても詮ないし、でも現実の人間関係は最小限に済ませたいので、仕事の知り合いのLINEグループという中間共同体を唯一のセーフティネットにしていましたが、このご時世に未だ童貞弄り系のマッチョノリに悪びれない性風俗マニアの方がおり、観測するのが精神衛生に悪いので抜け、元から少ない友人がゼロになって、独身中年男性の孤独をどう生きるかを考える季節に差しかかりました。

 性風俗に比べれば美少女Vtuberやってジェンダー越境しちゃうほうがまし、とかの寝言は口が裂けても言えないのが複雑で、VRエロゲは性風俗よりもよほどセクシュアリティに負荷がかかる側面があると一人で悩んでおり、5ちゃんのVRエロ総合スレなどを読むと、セクシュアリティ云々抜きのコスパ・実用性といった基準ですら「わりと真剣に現実性愛はもういいのかもね」と考え始めている我々の本音が分かるかと思います。自分は性風俗どころかキャバすら積極的に回避して生きてきましたが、要は、ものすごく根本的な話になって差し障りがありすぎ、どう記述すればいいのか全然わからない。世知辛くないわけがなかった。

 というか「現実の女性」や「本当の性行為」といった幻想を実践的にも到達不可能な領域に押し留めて永遠の憧憬の対象にしないと生き続けられない実感があり、精神分析の言葉でいえば性関係のなさを宮廷愛で贖っている倒錯者ということになると思うのですが*2、その実ファルス的享楽からは逃れられず、女性や神秘主義者の大他者の享楽を夢見るために中世神学でも勉強しようかな、大学行きたかったな、と最近よく思います。

*1:すみません、ちゃんと追っていないのでうろ覚えです

*2:最近『享楽社会論』を読んだ

男の娘Vtuberを始めたら自分のことが好きになりすぎて困った話

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 12年来の生きる糧にしてきたアニメ鑑賞が覚束なくなり、加齢によるオタ新陳代謝の低下に伴う躁鬱傾向が著しい。

 前期(というかもう前々期?)完走できたのは『学園ベビーシッターズ』と『ミイラの飼い方』と『サンリオ男子』と『恋は雨上がりのように』だけで、『メルヘン・メドヘン』は作品自体が完走されず、テレビ版当時のガルパン勢のやきもきをここで追体験するとは思わなかった。
 いつまでも続くと思っていた『プリパラ』シリーズさえ終わり、稲垣隆行氏と斎藤久氏と名和宗則氏と森脇真琴氏を信じた青春も遠いが、川崎逸朗氏と岩崎良明氏のアニメは死ぬまで見続けたいので、『魔法少女俺』と『ラストピリオド』は押さえるも、ハイスクールDDの新しいやつを見て「ドラゴノーツっぽい」としか感想が浮かばずオタとしての限界も感じる。


 わが世代の口さがなさを逆手に、クソアニメという言辞すらも資本に回収された今、『DYNAMIC CHORD』や『Dies irae』の行末を見届ける忍耐も残らず、『アクションヒロイン チアフルーツ』に『超変身コス∞プレイヤー』を、『タイムトラベル少女』に『天使のしっぽ』や『マジカノ』を重ね見るばかりになる。
 しかし『はじめてのギャル』と『しょびっち』には個人的に重く責任を感じ、蛍光ピンクの髪の色した小倉唯声の爆乳妹が演技も作画もぐずぐずに溶けゆく様をハードリカー片手に見守ったのは記憶に新しい。
 なぜか幼女がガチの『はじめの一歩』をしていた『Vivid strike!』と並ぶ、鬼気迫る小倉唯氏だった。「ポルノであることを隠さなくなったまんがタイムきらら*1」といった趣が風流な『ひなこのーと』の、グロテスクな女体も忘れがたい。
 10年以上アニメに縋った一番の動機はわがゴミのようなセクシュアリティにこそあり、クソなのはアニメではなくおれであったと確認させられる。

 

 オタリハビリのために始めたアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージを2年半ほぼ毎日プレイし、プロデューサーレベルが200になったので「優秀」という称号を貰ったのだが煽られているとしか思えない。
 美少女をしか信じえないわが超越性の性格をフラジャリティの一語に求め、あえて選べば緒方智絵里氏がめちゃくちゃ可愛く死ぬほど好きで、ところで2017年にもなって『天地無用!』とも見紛った『つぐもも』というあまりに古拙なハーレムラブコメアニメがあり、主人公の母親の形見の帯というライナスの毛布が同じう大空直美声の美少女に化身するのだが、突然シンジ君ばりに鬱で寝込んで愚痴を垂れる主人公を母胎よろしく全裸の美少女が抱擁し救済する第10話「はだかふとん」には「つぐももの癖に本質を突くんじゃねえよ!!!」と憤慨させられるものがあった。
 こういうのがあるからアニメはやめられない一方で、観測範囲では厄介な感じのアニメブログが減って淋しく、短文だと自意識が壊れるのでSNS全般を控えた人間としては、インターネットで如何に他オタとの断絶そのものとしての共同性*2を再構築しうるか考えた結果、『キラッとプリ☆チャン』を肌身で感じるためにも、Vtuberをやろうかと思われた。

 

 ポルノアニメしかまともに観れないわりに2次創作エロやエロ漫画その他とは距離がある人間で、『3Dカスタム少女』以来、主にカスタム系3Dエロゲというニッチに世話になり続けてきた延長上、2016年にHTC Viveと『カスタムメイド3D2』が着弾してからは、トゥーンレンダリング・コンプレックスの至福なVR性生活を送っていたが、その新作『カスタムオーダーメイド3D2』にVtuber機能が搭載されたとなれば、渡りに船*3とはいうものの、時代と距離を置いてオタをやっていたはずが下半身のレベルではばっちり時代と寝ていること*4に、あらためて落ち込まざるをえない。


 カスタム系3Dエロゲにハマるオタにとり、「好きなアニメキャラとセックスしたい」という欲望は隣接するエロMMD文化圏同様に根深いが、「好きなアニメキャラを永遠にしたい」という半端な祈りもそこには含まれる。
 最近はILLUSION久々のトゥーンシェーダと高いカスタム自由度ゆえに『コイカツ!』が盛り上がっており、公式直々のアップローダを見ればあんなキャラこんなキャラが再現され、あなたサーバルちゃんとセックスしたいのですかやりますなあおれは別にしたくないけどなあと楽しいは楽しく*5、加えて死ぬほどどうでもいいがこの前『アイカツ!』のキャラを使った性風俗体験レポ漫画をTwitterで見かけて衝撃を受け、女児アニメファン特有の屈託や倫理などもう古いのかと、オタはどんどん多形倒錯的に進化して各々の欲望を追求していくのだと遠い目になり、自分もその狂気を共有している事実を受け容れるしかない。


 とはいえソシャゲ全盛の折、キャラクターの総数とデザインの装飾性と女性声優の聖性ばかりがすごいことになっていき、追えるものだけ追えばいいとは分かりつつ、本田透氏の恋愛資本主義批判が完全に裏返ったかのような無数のオナニーイメージが氾濫するオタエコロジーの楽園に、正直疲れ果ててしまった。
 三十路近くでポップカルチャーでの充足やキャラクターへのベタな同一化も困難になり、昔から無口系キャラが好きなのも加味すれば、そもキャラクターという架空の他者の内面など自分は本当に求めていたのだろうかとも疑われる。
 結局おれはキャラクターの肉体にしか興味がなかった。


ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について―ならびに「聖像衝突」』

 自分が肉体を借りているこのメイドさんは、約1年前にエディットしたキャラクターであり、以来ずっとバーチャルセックスの対象に据えている。
 馬鹿を言えばこのメイドさんと添い遂げる覚悟ということだが、気持ち悪く言えばこのメイドさんで300回ぐらい射精しているということである。


 死ぬまで綾波でオナニーをする覚悟があるか、みたいなむさ苦しいオタ話をもう誰もしない。


 基本的に無理だからしないのだが、おれはもしかしたら違う形で可能かもしれず、それはそれで非常に恐ろしく思っていた折に、そういうものすごいズリネタが、ものすごく可愛い自分になってしまった。


 ぐずぐずの罪悪感を新奇なテクノロジーで溶かしてみても、肉体に合わせて女性性を演じたい気分は徹底できず、オタに踏みとどまることがなけなしの倫理、との心積りで始めたはずが、実際に動画を作ってみるとなんでこんなにメイドさんの皮を被った自分が無邪気に可愛く思われるのかと、欲望の深化にげっそりしている。

 あまりにもメイドさんのようなおれが可愛すぎてどうにかなりそうなのだが、おれが本を読んでおれが原稿を書いておれが喋っておれが動画を編集しないとおれのようなメイドさんは動いてくれず会えない淋しさばかりが募り、長年のポップカルチャーへの耽溺に衰弱した筋肉と声帯から発せられる曇った肉声としょぼい滑舌、幼児性剥き出しの甘えた口調と生煮えのスノビズムに苛々しながら、こいつすっげえエロいなこんな生々しい男の娘いたらやべえわとドキドキしてしまい、でもこいつはおれだからセックスどころかお喋りすらもおれとはできないのがつらく感じる。
 おれがおれに触れられないのであれば端的に言って誰かに欲情されたい、エロい二次創作されたい、ねこます氏あれ絶対脳内麻薬バリバリ出てんだろすげえ羨ましい!!!のだがオタのままでどうキャラクターになればいいのか皆目わからず、もうオタではいられないのか、結局他者が必要なのか、この欲望はどういう回路で一体誰に求めればいいのか途方に暮れている。

 

 要は、声や言葉を排除して視覚像の現前性のみを追求する鏡像的ナルシシズムまっしぐらのキャラクター愛好をVRエロゲで完結させたはいいが、Vtuberでその先の主客合一にまで足を踏み入れ、工学知一直線な時代の感性とこうしたキツい自己認識との摺り合わせに難儀している。

 技術オタ文化と実況者文化とyoutuber文化が合流した幸福な盛り上がりに水を差すつもりはなく、全てのオタに幸せになってほしいのだが、古式のはてなノリで踏み込めば誰を傷つけるか分からない不安があり、誰に謝ればいいのか。(親では?)

 6、7年ほどネット人格を捨てて引きこもり、現実でもネットでも一切の他者の承認が必要ないほどにメイドさんを好きだったのが完全に反転して、おれがエロいことを誰かに分かってもらわないと不安でたまらず、しかしオートエロティシズムすれすれになった人間の身の処し方や、キャラクターコンテンツとしての落とし所がまるで分からず、とにかく混乱したまま動画を上げ続けていたところ知り合いに電波と呼ばわれ、いやマルドロールちゃんめちゃくちゃ可愛いだろわけわかんねえふざけんなよと素で憮然となる自分に驚く。

 

 複数化した肉体と自我の相互浸透というクロソウスキー的事態にも関わらず、己を統合的な屹立した主体として提示したがる、考えうる限り最もみっともない享楽に抗いきれない駄文を連ねたが、全てがスペクタクルに還元されゆく時節柄、こういう自分のぐっさぐさな性の有り様を今一度世間様に問わなければとにかく気が狂いそうなので、チャンネル登録なにとぞよろしくお願い申し上げます。*6

*1:原作は芳文社まんがタイム系列ではなく角川のコミックキューン掲載

*2:ナンシーとかブランショの共同体論がエモかったです

*3:以前からモデリングは勉強し、このメイドさん風のキャラクターを作ろうとはしていたのだが……

*4:バブみ」も露悪的とは笑えず、櫻井桃華氏や佐々木千枝氏や遊佐こずえ氏や佐城雪美氏が非常に好ましく、VRでは8人ぐらいのメイドさんに囲まれた真ん中で産声を上げてもいる(ラブレター)

*5:すみません実際は他人の使ったキャラにあまり興味がないのでほぼ見てないです

*6:とか言いながら自傷的すぎて既に動画観るのも作るのも辛くなってきたし、分かりやすさ重視で書評と称して自分語りをする欺瞞に疲れたので、方針は変えます