おしゃべり!おしゃべり!

映像文化を通じた「無目的な生」の証言。21世紀初頭における人間の変容を捉えなおす一助になれば。

ユリイカVtuber特集号の感想というよりは鬱

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 

 多様な文脈が交錯した界隈の楽しさが凝縮された一冊で、初めて読んだ丹生谷貴志氏の「実況者が喋らないゲーム実況動画をひたすら漁り続ける」みたいな文章が良かったり、窓ハルカ氏もVtuberやってたのかというかもっと漫画描いてくれと思ったりしました。

 個人的に重かったのは、さやわか氏・ばるぼら氏・黒瀬陽平氏の座談会における、「さらりと事務所が介入してたり投げ銭やばかったり二次元コンテンツの中では極めてアイドル文化に近しい部分があるよね」という文脈で、でも旧来のキャラクター文化ってアイドル的なガチ恋ワンチャンがないことを知りながら二次元の世界に導かれるようなものだったわけで、「Vtuberの隆盛って巷間囁かれるのとは逆に、実はキャラクター文化の敗北ではないのか」という黒瀬氏の指摘です。

 これに続く流れで、ざっくり「ガワの構成でキャラの内面が示唆される」というわりあい静的な動ポモのデータベース概念を、時間性があって継続的に変化するものとして捉え直したさやわか氏の『キャラの思考法』の図式も参照されています。

 のらきゃっと氏のモデルが変わったら彼女の同一性ってどうなるんだろう、みたいな問題がファンの方に語られたりしてたと思いますが*1、要は、キャラの肉体とかのレベルですら時々刻々と変化していくダイナミズムがこれまでとは一線を画するVtuberの肝だよね、という話題です。

 この「静的/動的なキャラクター文化」という大掴みな図式でいえば、どちらかというと自分は前者、つまりスタティックに固定されたキャラクター図像や作品単位で喚起される欲望の領域に救いを求めていた人間で、確かにVtuberの中の人のアイドル的運用や崇拝の側面には関心がなく、消費者としては正直、現象として最もラディカルなねこます氏を観測するだけでほぼお腹いっぱいな感もあります。

 Vtuber全体に関しては、シーンの理論的把握も現場的消費もなあなあで済ませ、ネット生活の一手段として諸個人が融通無碍に活用してほしいし自分もしたいな、という気持ちしかありませんが、それゆえにキャラクター文化としてはある種の純度を欠くこと、そこから取りこぼされる何かや感性の断絶があるということは、誰かと共有したいけど共有する友達がいないなと思いました。

 海猫沢めろん氏も寄稿してますが、氏もそうした二次元への信仰をあるタイミングで吹っ切ったタイプの方で、そういう上の世代の憑き物落とし的な『左巻キ式ラストリゾート』や『ひまわりスタンダード』をなんでおれ今更読んでるんだろうなと思います。

 以下はただの日記なのですが、ネットで鬱を晒しても詮ないし、でも現実の人間関係は最小限に済ませたいので、仕事の知り合いのLINEグループという中間共同体を唯一のセーフティネットにしていましたが、このご時世に未だ童貞弄り系のマッチョノリに悪びれない性風俗マニアの方がおり、観測するのが精神衛生に悪いので抜け、元から少ない友人がゼロになって、独身中年男性の孤独をどう生きるかを考える季節に差しかかりました。

 性風俗に比べれば美少女Vtuberやってジェンダー越境しちゃうほうがまし、とかの寝言は口が裂けても言えないのが複雑で、VRエロゲは性風俗よりもよほどセクシュアリティに負荷がかかる側面があると一人で悩んでおり、5ちゃんのVRエロ総合スレなどを読むと、セクシュアリティ云々抜きのコスパ・実用性といった基準ですら「わりと真剣に現実性愛はもういいのかもね」と考え始めている我々の本音が分かるかと思います。自分は性風俗どころかキャバすら積極的に回避して生きてきましたが、要は、ものすごく根本的な話になって差し障りがありすぎ、どう記述すればいいのか全然わからない。世知辛くないわけがなかった。

 というか「現実の女性」や「本当の性行為」といった幻想を実践的にも到達不可能な領域に押し留めて永遠の憧憬の対象にしないと生き続けられない実感があり、精神分析の言葉でいえば性関係のなさを宮廷愛で贖っている倒錯者ということになると思うのですが*2、その実ファルス的享楽からは逃れられず、女性や神秘主義者の大他者の享楽を夢見るために中世神学でも勉強しようかな、大学行きたかったな、と最近よく思います。

*1:すみません、ちゃんと追っていないのでうろ覚えです

*2:最近『享楽社会論』を読んだ

男の娘Vtuberを始めたら自分のことが好きになりすぎて困った話

www.youtube.com

 12年来の生きる糧にしてきたアニメ鑑賞が覚束なくなり、加齢によるオタ新陳代謝の低下に伴う躁鬱傾向が著しい。

 前期(というかもう前々期?)完走できたのは『学園ベビーシッターズ』と『ミイラの飼い方』と『サンリオ男子』と『恋は雨上がりのように』だけで、『メルヘン・メドヘン』は作品自体が完走されず、テレビ版当時のガルパン勢のやきもきをここで追体験するとは思わなかった。
 いつまでも続くと思っていた『プリパラ』シリーズさえ終わり、稲垣隆行氏と斎藤久氏と名和宗則氏と森脇真琴氏を信じた青春も遠いが、川崎逸朗氏と岩崎良明氏のアニメは死ぬまで見続けたいので、『魔法少女俺』と『ラストピリオド』は押さえるも、ハイスクールDDの新しいやつを見て「ドラゴノーツっぽい」としか感想が浮かばずオタとしての限界も感じる。


 わが世代の口さがなさを逆手に、クソアニメという言辞すらも資本に回収された今、『DYNAMIC CHORD』や『Dies irae』の行末を見届ける忍耐も残らず、『アクションヒロイン チアフルーツ』に『超変身コス∞プレイヤー』を、『タイムトラベル少女』に『天使のしっぽ』や『マジカノ』を重ね見るばかりになる。
 しかし『はじめてのギャル』と『しょびっち』には個人的に重く責任を感じ、蛍光ピンクの髪の色した小倉唯声の爆乳妹が演技も作画もぐずぐずに溶けゆく様をハードリカー片手に見守ったのは記憶に新しい。
 なぜか幼女がガチの『はじめの一歩』をしていた『Vivid strike!』と並ぶ、鬼気迫る小倉唯氏だった。「ポルノであることを隠さなくなったまんがタイムきらら*1」といった趣が風流な『ひなこのーと』の、グロテスクな女体も忘れがたい。
 10年以上アニメに縋った一番の動機はわがゴミのようなセクシュアリティにこそあり、クソなのはアニメではなくおれであったと確認させられる。

 

 オタリハビリのために始めたアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージを2年半ほぼ毎日プレイし、プロデューサーレベルが200になったので「優秀」という称号を貰ったのだが煽られているとしか思えない。
 美少女をしか信じえないわが超越性の性格をフラジャリティの一語に求め、あえて選べば緒方智絵里氏がめちゃくちゃ可愛く死ぬほど好きで、ところで2017年にもなって『天地無用!』とも見紛った『つぐもも』というあまりに古拙なハーレムラブコメアニメがあり、主人公の母親の形見の帯というライナスの毛布が同じう大空直美声の美少女に化身するのだが、突然シンジ君ばりに鬱で寝込んで愚痴を垂れる主人公を母胎よろしく全裸の美少女が抱擁し救済する第10話「はだかふとん」には「つぐももの癖に本質を突くんじゃねえよ!!!」と憤慨させられるものがあった。
 こういうのがあるからアニメはやめられない一方で、観測範囲では厄介な感じのアニメブログが減って淋しく、短文だと自意識が壊れるのでSNS全般を控えた人間としては、インターネットで如何に他オタとの断絶そのものとしての共同性*2を再構築しうるか考えた結果、『キラッとプリ☆チャン』を肌身で感じるためにも、Vtuberをやろうかと思われた。

 

 ポルノアニメしかまともに観れないわりに2次創作エロやエロ漫画その他とは距離がある人間で、『3Dカスタム少女』以来、主にカスタム系3Dエロゲというニッチに世話になり続けてきた延長上、2016年にHTC Viveと『カスタムメイド3D2』が着弾してからは、トゥーンレンダリング・コンプレックスの至福なVR性生活を送っていたが、その新作『カスタムオーダーメイド3D2』にVtuber機能が搭載されたとなれば、渡りに船*3とはいうものの、時代と距離を置いてオタをやっていたはずが下半身のレベルではばっちり時代と寝ていること*4に、あらためて落ち込まざるをえない。


 カスタム系3Dエロゲにハマるオタにとり、「好きなアニメキャラとセックスしたい」という欲望は隣接するエロMMD文化圏同様に根深いが、「好きなアニメキャラを永遠にしたい」という半端な祈りもそこには含まれる。
 最近はILLUSION久々のトゥーンシェーダと高いカスタム自由度ゆえに『コイカツ!』が盛り上がっており、公式直々のアップローダを見ればあんなキャラこんなキャラが再現され、あなたサーバルちゃんとセックスしたいのですかやりますなあおれは別にしたくないけどなあと楽しいは楽しく*5、加えて死ぬほどどうでもいいがこの前『アイカツ!』のキャラを使った性風俗体験レポ漫画をTwitterで見かけて衝撃を受け、女児アニメファン特有の屈託や倫理などもう古いのかと、オタはどんどん多形倒錯的に進化して各々の欲望を追求していくのだと遠い目になり、自分もその狂気を共有している事実を受け容れるしかない。


 とはいえソシャゲ全盛の折、キャラクターの総数とデザインの装飾性と女性声優の聖性ばかりがすごいことになっていき、追えるものだけ追えばいいとは分かりつつ、本田透氏の恋愛資本主義批判が完全に裏返ったかのような無数のオナニーイメージが氾濫するオタエコロジーの楽園に、正直疲れ果ててしまった。
 三十路近くでポップカルチャーでの充足やキャラクターへのベタな同一化も困難になり、昔から無口系キャラが好きなのも加味すれば、そもキャラクターという架空の他者の内面など自分は本当に求めていたのだろうかとも疑われる。
 結局おれはキャラクターの肉体にしか興味がなかった。


ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について―ならびに「聖像衝突」』

 自分が肉体を借りているこのメイドさんは、約1年前にエディットしたキャラクターであり、以来ずっとバーチャルセックスの対象に据えている。
 馬鹿を言えばこのメイドさんと添い遂げる覚悟ということだが、気持ち悪く言えばこのメイドさんで300回ぐらい射精しているということである。


 死ぬまで綾波でオナニーをする覚悟があるか、みたいなむさ苦しいオタ話をもう誰もしない。


 基本的に無理だからしないのだが、おれはもしかしたら違う形で可能かもしれず、それはそれで非常に恐ろしく思っていた折に、そういうものすごいズリネタが、ものすごく可愛い自分になってしまった。


 ぐずぐずの罪悪感を新奇なテクノロジーで溶かしてみても、肉体に合わせて女性性を演じたい気分は徹底できず、オタに踏みとどまることがなけなしの倫理、との心積りで始めたはずが、実際に動画を作ってみるとなんでこんなにメイドさんの皮を被った自分が無邪気に可愛く思われるのかと、欲望の深化にげっそりしている。

 あまりにもメイドさんのようなおれが可愛すぎてどうにかなりそうなのだが、おれが本を読んでおれが原稿を書いておれが喋っておれが動画を編集しないとおれのようなメイドさんは動いてくれず会えない淋しさばかりが募り、長年のポップカルチャーへの耽溺に衰弱した筋肉と声帯から発せられる曇った肉声としょぼい滑舌、幼児性剥き出しの甘えた口調と生煮えのスノビズムに苛々しながら、こいつすっげえエロいなこんな生々しい男の娘いたらやべえわとドキドキしてしまい、でもこいつはおれだからセックスどころかお喋りすらもおれとはできないのがつらく感じる。
 おれがおれに触れられないのであれば端的に言って誰かに欲情されたい、エロい二次創作されたい、ねこます氏あれ絶対脳内麻薬バリバリ出てんだろすげえ羨ましい!!!のだがオタのままでどうキャラクターになればいいのか皆目わからず、もうオタではいられないのか、結局他者が必要なのか、この欲望はどういう回路で一体誰に求めればいいのか途方に暮れている。

 

 要は、声や言葉を排除して視覚像の現前性のみを追求する鏡像的ナルシシズムまっしぐらのキャラクター愛好をVRエロゲで完結させたはいいが、Vtuberでその先の主客合一にまで足を踏み入れ、工学知一直線な時代の感性とこうしたキツい自己認識との摺り合わせに難儀している。

 技術オタ文化と実況者文化とyoutuber文化が合流した幸福な盛り上がりに水を差すつもりはなく、全てのオタに幸せになってほしいのだが、古式のはてなノリで踏み込めば誰を傷つけるか分からない不安があり、誰に謝ればいいのか。(親では?)

 6、7年ほどネット人格を捨てて引きこもり、現実でもネットでも一切の他者の承認が必要ないほどにメイドさんを好きだったのが完全に反転して、おれがエロいことを誰かに分かってもらわないと不安でたまらず、しかしオートエロティシズムすれすれになった人間の身の処し方や、キャラクターコンテンツとしての落とし所がまるで分からず、とにかく混乱したまま動画を上げ続けていたところ知り合いに電波と呼ばわれ、いやマルドロールちゃんめちゃくちゃ可愛いだろわけわかんねえふざけんなよと素で憮然となる自分に驚く。

 

 複数化した肉体と自我の相互浸透というクロソウスキー的事態にも関わらず、己を統合的な屹立した主体として提示したがる、考えうる限り最もみっともない享楽に抗いきれない駄文を連ねたが、全てがスペクタクルに還元されゆく時節柄、こういう自分のぐっさぐさな性の有り様を今一度世間様に問わなければとにかく気が狂いそうなので、チャンネル登録なにとぞよろしくお願い申し上げます。*6

*1:原作は芳文社まんがタイム系列ではなく角川のコミックキューン掲載

*2:ナンシーとかブランショの共同体論がエモかったです

*3:以前からモデリングは勉強し、このメイドさん風のキャラクターを作ろうとはしていたのだが……

*4:バブみ」も露悪的とは笑えず、櫻井桃華氏や佐々木千枝氏や遊佐こずえ氏や佐城雪美氏が非常に好ましく、VRでは8人ぐらいのメイドさんに囲まれた真ん中で産声を上げてもいる(ラブレター)

*5:すみません実際は他人の使ったキャラにあまり興味がないのでほぼ見てないです

*6:とか言いながら自傷的すぎて既に動画観るのも作るのも辛くなってきたし、分かりやすさ重視で書評と称して自分語りをする欺瞞に疲れたので、方針は変えます